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【ミリしら超感想】『A3!』最終話「もう一度、ここから」満開に咲き誇る始まりの一幕

2021年1月5日

 

引用元:https://www.a3-animation.jp/story/s24.html

アニメ『A3!』もついに最終回。
迎えるはMANKAIカンパニー 冬組 VS GOD座によるタイマンACTです。

冬組の物語としつつも、これは劇団の存続がかかった重要な一幕。MANKAIカンパニー総力を上げて突破しなければならない試練の瞬間が、差し迫ろうとしています。

様々な事情や劣等感を抱えている冬組が、それらを乗り越えて結実させる決意の千秋楽。そして迎えるMANKAIカンパニー全体の大きな転換点。

最終話「もう一度、ここから」
しっかり紐解いて参りましょう。

MANKAIカンパニー総力戦

最終話は冬組だけでなく、今まで共に歩んできた全キャラクターが登場。やはり最後には今一度全員の顔と活躍する姿が見たいという視聴者の想いを、しっかりと汲み取ってくれていますね。

舞台上に立つのは冬組のキャストに限られますが、何も舞台に上がるだけが彼らを助けることではありません。役者が全力で最高のパフォーマンスをするためには、裏でそれを支える1つ1つの仕事がより重要となってききます。

思えばMANKAIカンパニーは、数多くの裏方作業も団内のキャストでこなせるようになったのですよね。最初は助っ人としてやってきただけの面々が、自身が関係した座組の演目に魅せられて。1人、また1人と演技の世界へと足を踏み入れました。

お手伝いとしてやってきただけの、芝居経験はおろか演劇に興味さえ持っていなかった一般人。立場も年齢も信条も違えた彼らの心は、ここMANKAIカンパニーにて1つになることができました。

演劇を始めなければ絶対に交わることがなかったであろうメンバーが、たった1つの目標に向かって一致団結できること。それが演劇の大きな魅力の1つです。彼らの持つ経験とスキルの全てが集まって、1つの世界を生み出すことが演劇にはできます。

演劇は自分たちで1から創り上げる文化だからこそ、1つとして無駄になる経験やスキルがありません。それぞれが培ってきた全ての経験と技術が、舞台の上では替えが利かない財産となって力を発揮します。

自分の人生を変えるかもしれない出会い、決して味わえなかったであろう衝撃が、演劇を通して彼らの心に刻まれました。そこで生まれた絆は、一生ものの価値を持つことだってあるのです。

役者としてではなく、"人間"として彼らが積み上げてきた長所。それらを仲間のために存分に振るう団員たちの姿は、ここまでの『A3!』の物語が歩んできた軌跡を物語ってくれているかのようでした。

劇団員全員が演劇を通して得た想いと熱意に背中を押される形で、最後に立ち上がった新生冬組は大一番へと身を投じます。

見ようによっては重すぎるプレッシャー、新参者が抱えるには厳しすぎる責任です。しかし彼らにとってはきっとそうではありません。

それだけの稽古を積み、絆を育み、自分たちの演目を絶対に成功させたいという想いを積み上げた。もう彼らも、MANKAIカンパニーの誇れる劇団員に違いないのですから。

GOD座の"見せつける"芝居

幕が開いたタイマンACT。その先陣を切ったのは、戦いを持ちかけたGOD座の方でした。

アニメで彼らの本公演が描写されたのは初めてのことだったと思いますが、想像していたよりかなり仰々しい(※厨二臭い)演目で勝負している劇団のようでした。その方向性からか、意外と男性客が多い傾向にあるのも1つのチェックポイントです。

彼らが行うのは、ホームグラウンドにて無尽蔵に金と人をかけられる環境での公演です。相応に「見せつける舞台」が展開されていて、高い技術と熱量で見る者を圧倒する世界観を表現しているようでした。短い時間シーンでもそれが分かりやすいほどに分かる、ストレートな力強さを持っています。

それ故に役者に求められるお芝居も「見せつける演技」と言ったところ。リアリティや所作の自然さを追い求めず、見た目に優れている演技を役者に求めているのも伝わってきました。丞が細かい表現や抑えた演技が不得意なままだったのも納得で、とにかくオーバーな表現を是とする方向性を貫いているのでしょう。

特に丞が抜けた後にトップを務める飛鳥晴翔は、自信あり気で他者を見下しがちな人間性の持ち主です。

普段から自分を誇示するそのスタイルによって、GOD座の芝居とも高い親和性を発揮しています。今回の演目は、その彼の特性を活かした脚本だったのかもしれません。芝居の技術力と振る舞いで人気を得ていたであろう丞とは、根本的な性質を違える役者に見えますから。

丞が抜けてその晴翔が中核に座る以上、見せられる内容にも差があるはず。そしてそれは観客の受け取り方を左右する要素にも発展して行くことでしょう。

何より圧倒的な熱量を持つ芝居は、何も観客だけに伝わるものではありません。これから対戦相手として舞台に上がる、冬組の面々にも少なからずの影響を与えるものです。

冬組が中途半端な志で準備をしてきた座組だったならば、その熱量に気圧されて畏怖してしまっていたかもしれません。ですが確固たる決意の元にその場に立っている者たちは、決して相手の熱量をネガティブに捉えることはないのです。

むしろ相手のその熱量をも中に取り込み、より自分たちの本番を昇華させるエネルギーに変えてしまう。それだけのことができるほどに、彼らは研鑽を積んできました。見せつけていたはずが、相手に新たな力を与えることにさえ繋がって行く。そのリスクがGOD座の芝居にはあるように思います。

舞台袖で円陣を組み、自分たちの舞台への気持ちと想いを交わし合う冬組は、ここが敵地であるということさえ忘れてしまっているのではないか。そう思えるほどに冷静でした。

「――うん、行こう!」

リーダーとして不完全。
それ故にリーダー足り得る月岡紬に引っ張られ。

彼らは彼らの芝居を全うするため、舞台へと舞い降ります。冬組初回公演「天使を憐れむ歌。」千秋楽の開演です。

「天使を憐れむ歌。」

冬組がタイマンACTにぶつけた演目は、当初の想定通りGOD座とは大きく方向性を違えた内容。

自分たちの芝居を見せつけるのではなく、自分たちが創り出す世界に観客を招待する。

情緒溢れる芝居の形がそこにはありました。しかしそのスタイルで進むのは実際、とてつもなくリスクの高い賭けでした。

演劇を観る理由を問われた時、多くの人は往々にして「ライブ感を楽しむ」という答えに行き着きます。そしてそれを最も確実かつ大きく感じることができるのが、GOD座のような演劇です。だからこそ彼らの芝居は多くの人に支持されて、一大地位を築くことができるのです。

対して冬組が今回目指した演劇は、どちらかと言えば映画の質感に近いもの。派手な演技で魅せるのではなく、細かい所作や会話のテンポ感で観る者を楽しませる芝居。そのリアリティにどれだけ観客を引き込めるか、それが勝負の分かれ目でした。

単純に考えると要素の少ない冬組が不利に見えますが、彼らのような芝居では演技が細かければ細かいほど、短時間に多大な感情と情報量を込めることができます。それが目の前の生きた人間によって演出されることで、"生"の実感が観客の胸へと飛び込みます。

外側からの圧力ではなく、心の内側から熱いものが溢れてくる感覚を味わうこと。これもまた「ライブ感を楽しむ」ことの一環になり得るものです。

むろん、素人が観客を魅了するには、オーバーな演技で熱量をぶつける方が簡単だと断言できます。

それらは技術力が無くとも、人の心を打つ可能性があるからです。『A3!』の作中においては、十座のポートレイトが評価を受けたことが分かりやすい例に挙げられますね。

それを考えると、冬組は極めて難しい方向へと舵を切ったと言えるのです。仕方がなかったこととは言え、面子によっては絶対にどうしようもできない挑戦だったでしょう。

その悪条件の中で、見事に最高の演技をして見せた5人のメンバーの姿がここにはありました。最終回で見せてくれた彼らの演技は、今までの公演からの更なる飛躍を感じさせるものだったのです。

「役に合っている」から「本人」へ

MANKAIカンパニー冬組は、「濃い」の一言から始まる異質感を伴った座組でした。

それぞれが強い個性を持っているが故に、舞台上でもそのキャラクター(個性)通りの芝居に自ずとなってしまっていた印象です。逆に言えば、彼ら(主に東と誉)が素人ながらにこれだけの芝居をやってのけたのは、「そもそも各人が持っている要素が芝居染みている」ことが大きな理由となっているはずです。

つまり彼らは普段通りにやっていれば、それなりにキャラになり切ることができる能力を持っていたということ。

日常生活では不自然すぎる人間性が、舞台の上ではキャラクターとして自然となり得る。そんな皮肉めいた現実によって、MANKAIカンパニーは首の皮1枚を繋ぎました。

そして千秋楽で見ておかなければならないのは、「その上での変化」です。彼らは与えられた役をそのままこなせば良いだけに、自分自身として演技をしてしまっていたと思います。それが千秋楽では、しっかりとキャラクターの気持ちを前面に出して芝居できるようになっていました。

舞台上に立っているキャラクターは確実に彼ら個人の要素を含んでいるはずなのに、その台詞の喋り方や一挙手一投足は普段の彼らとは微妙に異なっています。特に誉の演技はそれが分かりやすく、舞台袖で監督からもしっかりと絶賛されていましたね。

23話にて紬が引き起こしてしまったトラブルと、それを踏まえた上での最終稽古が彼らの心情に変化を与えたのかもしれません。冬組のキャストたちはこの時、確実に自分ではない役柄の性格を掴むことができていました。演技としてそれが、明確に表現されるほどまでに。

脚本は当て書きなのだから、彼らが伸び伸びと自分の役を演じられるのは当たり前のこと。普通ならそれで十分ですが、冬組の演目にはその先が求められていました。表面的な「役に合っている」ではなく、全員がリアリティを伴った「本人」となること。それによって観客はより彼らの世界観に没入できます。

脇を支える3人が世界を壊すことがないばかりか、より高いレベルに持ち上げてくれた。それがメインを演じる紬と丞の力量を十全にサポートし、冬組の演目は最高の形に着地します。

御影密についてはアニメでその実情を知ることはできなかったものの(※何故かやたらと演技が上手い)、彼もまた今まで以上に優れた表現を見せてくれことに変わりはありません。

GOD座とはまるで異なる演劇の魅力。それを表現することに、彼らは紛れもなく成功していたのです。

「紬と丞」「ミカエルとラファエル」

紬と丞がここまで積み上げてきたものもまた、芝居にも凄まじい好影響を与えてくれました。

奇しくも2人が演じたミカエルとラファエルの関係性は、現実の彼ら2人の在り方とダブります。しかし要素が被っているだけで、全く同じというわけではない。似ている部分が目立ちこそすれ、どちらかと言えば通じていない部分の方が多いはずです。

「ありがとうラファエル…手間をかけるね」
「俺の忠告を聞いていれば、こんなことにはならなかったのに…」

あくまで舞台上の彼らは2人の天使。2人の人間ではないのです。

そして彼らは役者として、それをしっかりと理解しています。そこを混同してしまっていたら、彼らの芝居はもっと不自然で独善的なものになってしまっていたことでしょう。

故に彼らの関係性は、舞台上でもリアリティを持って体現されました。紬と丞の間にある様々な感情と、ミカエルとラファエルの間にある感情を適切にリンクさせて。役を乱さない範囲で、2人にしかできない演技とやり取りをしっかりと表現してくれました。

「僕は不幸にはならなかったよ」

役者としてのエゴが全乗せされている芝居も、それはそれで魅力的なものです。2クール目前半を飾った秋組の舞台は正にそれで、彼ららしい若々しさと勢いに満ちたやり取りで我々を魅せてくれました。

「それでも…初めて愛した人を守れて、親友の君に魂を送ってもらえるんだから――僕は幸せだよ…」

ただ、冬組の玄人2人は技術ではその上を行く。

「ミカエルの大馬鹿者…!」

役者としての交流を、役の交流の中に絶妙に滲ませる。
それが演目全体の説得力さえも飛躍的に向上させ、観る者を飲み込む感動をその空間の中に創り出したのです。

「ありがとう。永遠に…君と共に…」

それはそれだけ、この2人が"役者として"技術と信頼を磨き上げてきた証。そして"人間として"信頼と友情を築き上げてきた証明です。

冬組の公演は演劇という文化を語る上で、とてもとても高度な内側が描写されていると思います。言葉で論理立てて説明しても、経験のない人には分かるはずがない。もっと言えば経験者だって理解できるか分からない。そんな細かい違いが物語のキーポイントになっていると感じます。

「――俺は愛する人だけじゃなく、親友まで失った」

けれどここまでMANKAIカンパニーの公演を見守り続けてきた"監督"なら、冬組の凄さを感じ取ることができるかもしれない。春夏秋冬の座組で表現された演劇の魅力、キャラクターたちの奮闘を知っている者であれば、彼らが如何に凄いことをやっているかに思いを馳せられるかもしれない。

そんな希望に満ちた挑戦心が、冬組の物語の中には隠されていると僕は思っています。

「なぁ、ミカエル…」

「月岡紬と高遠丞」にしかできない、最高の「ミカエルとラファエル」を。

異なるものの中に、同じものを響かせて。"人間として"の交流を、舞台上で"役者として"彼らは果たします。

それは観る者の心を掴んで離さない最大級の感動と衝撃を、会場中に与えたのです。

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はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。美少女よりイケメンを好み、最近は主に女性向け作品の感想執筆を行っている。キャラの心情読解を得意とし、1人1人に公平に寄り添った感想で人気を博す。その熱量は初見やアニメオリジナル作品においても発揮され、某アニメでは監督から感謝のツイートを受け取ったことも。

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