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【感想】初心者男性の『うたプリ スタツア』シリーズファンを100回劇場に通わせる魔力のあるライブ

引用元:http://starishtours.utapri-movie.com/
『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEスターリッシュツアーズ』メインビジュアル

観てきました『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEスターリッシュツアーズ』。

僕は『うたプリ』は1期のみ視聴(※それも随分と昔&ながら見なため相当なうろ覚え)の超初心者であり、何故か前作映画『マジLOVEキングダム』は誘われて映画館で観ている。というかなり特殊な(?)遍歴で作品に触れている者です。

今作もYouTubeチャンネルの視聴者さんの強い勧めで映画館へ足を運び、この映画を鑑賞…いや体感&体験してきました。

この記事に書かれているのはキャラのこともあまり知らない超初心者の、比較的フラットな作品感想・紹介文です。作品の内容よりも、創りの方に注目した文章をお届けしていきます。

ご承知の上、楽しんで頂ければ幸いです。それではどうぞ。

『うたプリ』の新作ではなく「ST☆RISHのライブ」

『マジLOVEスターリッシュツアーズ』(※以下『スタツア』)は、「本編映像の全て(約65分)を使い切りアイドルのライブ映像(3DCG)を届ける」という、非常に尖った持ち味の作品です。

昨今は男女問わず音楽を主軸にした作品が1つのトレンドで、ライブシーンを映画館の大画面で鑑賞することを主目的とする作品も数多く存在します。

しかし「映画の大半がライブシーン」という作品は非常に少なく、それをさらに飛び越え「全編がライブ」になっている作品は、この『スタツア』が初めてなのではないでしょうか?(※もし他の存在を知っている方がいたら教えてください)

『うたプリ』は前作『マジLOVEキングダム』からこの「ライブ映像のようなアニメを創る」ことにフォーカスを置いた作品を展開しており、本作はそれを正統に発展させた作品というイメージです。

その中で『マジLOVEキングダム』はアイドルたちの集大成といった質感がかなり強いため、作品知識が乏しい状態で見るとMCパートで置いて行かれてしまうところがありました(※それが当然であり普通)作品の全てを楽しむには、過去作の履修が必要不可欠ではありました。

そういう意味で前作は、紛れもなく『うたの☆プリンスさまっ♪』の最新作であると認識することができました。ですが本作『スタツア』は、そこからさらに一歩踏み込んだ作品として世に打ち出されたと感じたのです。

本作は『うたプリ』というアニメ作品の最新作と呼ぶよりも、「ST☆RISHという7人組アイドルグループのライブを見てきた」と表現した方が適切である。

これが鑑賞後に僕が抱いた一番大きな感想でした。

恐らくこの作品は完全にアニメの知識がない人であっても、音楽が好きな人であれば「楽しかった」という感想を持つことができる。「面白かった」ではなく「楽しかった」と言うことができる作品になっているなと思いました。

当然彼らにも積み重ねがあり、紡いできたストーリーがあります。MCで「初めまして」と言うことはないし、何度も足を運んでくれている人のための演出が展開されます。何も知らない状態では、彼らの人間性まで楽しむことはできません。

ですがそれはリアルのライブに足を運んだ時にも同じことが言えるのではないでしょうか。

初回は「あぁなんかこういう感じ(の人)なんだ」という"何となく"からスタートし、ライブが終わった頃にその空気を楽しめるようになっている。その流れがライブで体感できる醍醐味の1つです。『スタツア』でのST☆RISHとの出会いは、正に現実でのその感覚を想起させてくれるものでした。

僕も数多く音楽系の作品に触れてきている人間ですが、ここまで"ライブ"として没入させてくれた作品には初めて出会いました。この路線を極めてくれたことについては、素直に感動したとしか言うことができません。

男性アイドルコンテンツのパイオニアとなった『うたプリ』が目指した"アイドルアニメ"としてのベスト。それを作品を通して感じさせられました。

アニメ映画でしかできない"ライブ"の追求

ではこの項では、本作が非常に優れたライブアニメであったことを、この作風の持つ大きな問題点と照らし合わせる形で考えていこうと思います。

個人的に『スタツア』のような作品を創る上でついて回る命題だと思っているのが

「ライブに特化しすぎる映像を製作してしまったら、現実と比べられてしまうのではないか」
「同じ映像なら、ライブビューイングやライブDVDを観ればいいのではないか」

という2点です。
ライブとは言葉通り"生"だからこそ面白く、迫力を感じるものです。アニメは突き詰めたとしても映像作品以上になることはなく、本来の意味での"ライブ"を創ることはできません。

また昨今では当たり前になったライブビューイングの存在も逆風です。一部とは言え今は映画館でライブ鑑賞ができる時代。そういったものが存在する中アニメ映像でライブを表現したところで、結局は現実の"真似事"に終始してしまうのではないか。そういった懸念も付きまといます。

ライブである意味を突き詰めるほど、現実という高い壁が立ちはだかる。中途半端な出来であれば、「意味不明」「興覚め」と言われてしまうリスクも決して低くない。ライブ特化アニメとはそのような作風であると思っています。

しかし『スタツア』はそういった点としっかり向き合い、アニメ映像でライブを創ることの意味と意義を深く考察して創り上げられた作品だと感じました。その結果、アニメでしか表現できない唯一無二のライブ映像を創り上げることに成功していたのです。

そして僕がそう感じたのには、主に3つの大きな理由がありました。以下でそれについて1つずつ解説していきます。

数多くの"見落とし"を生み出せる構造

第一に、本作の最も大きな特徴とも言える部分。カット割り・カメラワークです。

『スタツア』は映像のカット割りが非常に激しく、そして細かいです。

目まぐるしく視点が切り替わるため、1つのものをじっくりと眺めることが基本的にできません。

またその視点移動の複雑さに拍車をかけていたのが、独特すぎるカメラワークでした。通常の映像作品では許されないであろう恐ろしいスピードでカメラが移動するため、はっきり言って全く目が追いつきません。割と早い段階で映像の全てを追うことを諦めました。

ですがこの「目が追いつかない」というのが、本作の持つライブ感を尋常ではないほどに高めてくれているなと感じさせられました。

僕は現実のライブに参戦する悩みの1つに「どこを見ていいのか分からない」というものがあると思っています。そしてそれは転じて「好きなところを見ることができる」という個人の楽しみに結びつくと思っています。

会場が広ければ広いほど見るものは増え、演者だけではなく観客席ですらエンターテインメントになり替わる時もあります。とても1回のライブで全てを見ることは不可能で、終わってから同行者との感想会で自分の見逃しに気付くことも非常に多いです。

『スタツア』は映画という定点の映像でありながら、カット割りとカメラワークを複合することで数多くの"見落とし"を生み出せる構造になっています。これにより明確にその映像における「自分だけの体験」を生み出すことに成功しており、ライブへの没入感を飛躍的に高めています。

またそういった人それぞれの見方ができることは、鑑賞後の感想共有を加速化させます。作品のファンであればあるほど、ネット上で自分の見ていなかった側面に気付かされるでしょう。

そうなると必ず「もう一度見てみたい」と思わされる。この映画はそう行った魔力を持った作品です。

ライブでも見落としがあると「そこ見ておけば良かった!」と思うものですが、残念ながら再確認のチャンスは二度とやってきません。ところがこの『スタツア』は劇場に行くことで、「何度でも見直す」ことができてしまいます。

そしてもう一度足を運んでそれをチェックしたかと思えば、また新しいところに気付き、また新しい感想が目に入るようになる。これの繰り返しで、同じ映像を見ているはずなのに常にファンにライブ感を感じさせられる映像作品へと昇華しています。

さらに同じ定点映像であるライブビューイングやライブDVDは、あくまで決まった映像を鑑賞してもらうことを旨とした映像転換であることが多いです。見やすくて楽ですが、反面どうしても"見せられている"感が拭えません。特にライブビューイングは見直しが不可能である性質上、その傾向はより強まるでしょう。

『スタツア』はこういった各媒体の長所短所と向き合うことで、アニメでしかできないライブ表現に成功としていると思っています。

僕は作品初心者なのでそこまで引きずり込まれることはありませんでしたが、観終わった時には「これは往年のファンを30回"は"映画館に通わせる魔力が込められている…」と心の底から震え上がりました。まんまとハマッてしまった方はお気の毒ですが、行けるところまで行ってくれと言う他ありません。

凝縮された「ライブの理想像」

第二の理由として、やはり特徴的な映像演出が挙げられます。

『うたプリ』もそれなりにトンチキな演出をすることで有名な作品であり、ライブ作品である本作もその例に漏れません。当たり前のように空を飛び、龍を召喚、熊のきぐるみ(?)と戯れます。うん?うん。

僕はそもそもトンチキ畑の住人なため一切の違和感なく馴染むことができますし、何なら『スタツア』は非常に『KING OF PRISM』的な演出が多いなと感じたりもしましたが、実は似ているようでその本質は他の作品とは完全に別方向を向いています。

『キンプリ』を始めとするビックリ映像アニメの多くは、キャラクターの心情描写の表現としてそういった映像を取り入れていることがほとんどです。しかし『スタツア』における映像演出は、あくまでライブ演出の一環として成立し得るものとして練り上げられていると感じました。

リアルのライブやライブビューイングには、「物理法則」という抗えない障害があります。物理法則を無視した演出を取り入れることはできませんし、セットの用意や着替えには時間が必要です。演目によっては、演者の移動や休憩が必要な場合もあるでしょう。

ところが『スタツア』はアニメーション作品なため、そういった本来あってしまうものを完全に無視できます。セットは舞台から生えますし人は空を飛んで移動します。ダイナミックな召喚演出も取り入れられますし、逆にコンパクトなダンスをクローズアップしてインパクトを高めることも可能です。すげぇ!

そういった実際にはできないが「できたらいいな」を突き詰めた演出がライブ全体を彩っており、映像のトンチキさと裏腹に全く違和感がありません。現実では不可能な「ライブの理想像」が、この作品には凝縮されています。

ですので他のトンチキ映像作品のような「どうしてそうなるんだ?」といった疑問が全くなく、極めてナチュラルにライブを楽しむことができる。そのギリギリのラインで映像が創られているのがよく分かりました。

個人的にはやっぱりこれだけ突拍子もないことができる中、「マネキンとダンス」という謎の一本勝負でカッコ良く舞った神宮寺レンがあまりにも印象的すぎました。「意味不明なものに囲まれている場合、ノーマルなことで魅せる奴が一番意味不明になる」ことを表現した好例として語り継いでください。

「観客の声援」という登場人物

第三に緻密に練り上げられた観客の声援です。

本作はライブ会場全体が1つの映像に仕立て上げられているため、観客席の描写も至るところで登場します。そして彼女たち(※男性もいる)の熱のこもった応援の声も、作品を盛り上げる極めて重要な要素となっています。

ライブシーンが中心の作品では、観客の声が作中に挿入されること自体はごく一般的な手法となりました。ですがこの『スタツア』ほどそれが大量に取り入れられ、しかも十全に計算された存在に召し上げられている作品には出会ったことがありません。

本作の観客は「現実のライブ会場にいる人の熱量」を想定されて作られており、完全にアニメの演出としての領域を超えています。随所随所で、本当に自分がライブに参加しているかのような錯覚さえ覚えるほどです。

僕は鑑賞中に何度も観客につられて声を出してしまいそうになりました。鑑賞中に声を出してはいけないと分かっていても、油断しているとその熱量に飲み込まれてしまいます。

周りの熱量に影響されて自分のボルテージも上がっていく。これは実際のライブでもよくある現象ですが、『スタツア』がアニメならではのライブ映像になっている理由は、実はこの点にも存在します。

未見の方であれば「観客の声援にそんなに差はないだろう?」と思われるかもしれません。しかし本作が素晴らしいのは、その声援までもが「ライブの理想形」に仕上げられているということなのです。

ライブの声援とは個人個人が自由に出すものであり、その個性の集合が集合して唯一無二の空間を作り上げます。初めから統率が取れているわけではなく、結果として統率が生まれるのが声援です。

本作でもその風合いはもちろん意識されており、全体的に綺麗にまとまっているという空気ではありません。会場で感じられる"リアル"な声援が映像の中で表現されています。注目したいのは、その中で「どのような声援があったら盛り上がるか」が吟味されていることです。

現実のライブでは声援の内容は個々人に委ねられているため、"欲しいもの"が必ず届けられるわけではありません。ところが『スタツア』はアニメ映画である故に、「ここにこれがあったら盛り上がる」という掛け声を容赦なく差し込むことができます。

自由な空気感を維持したまま、皆が欲しいと思ったスパイスだけを追加する。これを実現していることで、『スタツア』はリアリティを維持したまま現実を超えた声援を作り上げることに成功しています。

そしてそれは声援というものを演出の一環として消費せず、ある種"登場人物"として解釈し、真摯に向き合い続けた製作陣の努力の賜物だと言えるのでしょう。素晴らしい熱量のスタッフに囲まれているなと、感じずにはいられません。

応援上映と声援の関係

個人的な考察ですが、思うにこの声援はコロナ禍だからこそ生まれたものではないでしょうか。

ライブを中心とする映画作品を上映する場合、もはや切って語ることができないのが応援上映という文化の存在です。特に本作のような作品ファンを何度も何度も通わせる(通ってもらう)作風だと、応援上映を取り入れられるかどうかで興行収入は大きく変わります。

昨今は無発声応援上映などコロナ禍対応の応援上映も生まれていますが、『スタツア』の本質は映画ではなく"ライブ"。それにならった応援上映の形が必要です。

そして"ライブ"という場において何の声も出せないのは、今でもやはり物寂しさを感じます。現実のライブやライブビューイングでは、未だその感情を解消することはできない状況にあります。ですがアニメ映画であれば、「観客の声援を浴びる」という形で最大限にその欲求を満たすことが可能です。

自分は声を出せなくても、リアルと同じ…それ以上の歓声の中に自分が入れば、相応の満足感を得ることができる。

それを考慮に入れた上で、今"ライブ"という形で映画作品を創り上げるならば、必要以上に「やりすぎだ」と言われるくらいの歓声を取り入れるくらいが丁度いい。

そういったプロセスによって、本作の歓声はこのレベルにまで仕上げられたのではないかと想像してしまいます。それほどまでに"異常な"クオリティの歓声であったと僕は感じています。

結果として本作は往年の作品ファンに"異常な"回数足を運ばせているようで、同じ映画を何度も観たという経験を初めてしている方も決して少なくないのではないかと思います。応援上映であってもなくても、歓声に飲み込まれる感覚を味わえるというのは素晴らしいことです。

残念ながら最寄りの映画館では応援上映が実施しておらず、僕自身は『スタツア』の応援上映を体験することはできなかったのですが…。1人の応援上映フリークとしては、自分の目で見てみたかったと後ろ髪を引かれる思いはありますね(もう一度行くのはちょっと難しそう…くぅ…)

おわりに

以上『劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEスターリッシュツアーズ』の感想&紹介を言語化してきました。この記事が作品を楽しむ他、まだ見ていない人・気になっている人に魅力を伝える一助となりましたら幸いです。

正直、前作『マジLOVEキングダム』と同じような感じで楽しめれば…という気持ちで足を運んだのですが、蓋を開けてみたら想像以上に突き抜けた映画で驚かされました。とても作品ファンとは名乗れない身分である自分でさえ、強烈な楽しさと多幸感を感じられる珠玉の映像体験でした。

65分という1本のライブとしては短すぎる上映時間(通常のライブであれば一番昂っているところで終わる)のせいで、1日に2回見たくなる気持ちも理解できました。

こんなもの作品を全て追いかけてきた状態で見てしまったら、間違いなく人生が狂ってしまう。極めて恐ろしい映画だと感じ、ある種「作品ファンでなくて良かった」という気持ちさえ芽生えました(※同じ映画を2桁回数観に行っている前科があるため)

『うたプリ』も決して最初からヒットを約束されていた作品ではなく、様々な紆余曲折を経て今の地位に登り詰めたことには浅い知識があります。そんな彼らST☆RISHが歌に乗せて届けてくれる感謝の言葉には、ストレートに胸を打たれてしまいました。

アンコールで「マジLOVE1000%」が流れた時、あまりに今の楽曲とのテイストの違いに少し笑わされながらも、そこに彼らの歩んできた足跡を感じました。

嵐が「A・RA・SHI」を久々にテレビで披露しているのを見た時に非常に近い気持ちになりました。

長い期間『うたプリ』というコンテンツを応援し続けてきた人たちが、その状態でこの作品と出会えたこと。羨ましくもありご愁傷様ですという気持ちでもあります。「そうなりたかった」と同じくらい「あぶねぇ」と思っています。DOKIDOKIで壊れそうです。

この作品の風格は「『うたプリ』見るかぁ…」と改めて思わされるに十分な破壊力がありました。もし見終わった時には何らかの形で感想をお届けできるように頑張ります。またその日が来た時にお会い致しましょう。

ここまでお読み頂きありがとうございました。皆々様方、良い『スタツア』生活をお送りください。

  • この記事を書いた人

はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。美少女よりイケメンを好み、最近は主に女性向け作品の感想執筆を行っている。キャラの心情読解を得意とし、1人1人に公平に寄り添った感想で人気を博す。その熱量は初見やアニメオリジナル作品においても発揮され、某アニメでは監督から感謝のツイートを受け取ったことも。

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