稽古を積み、初回公演を迎える冬組の面々。アニメ『A3!』としてもクライマックスを迎える大切な一幕です。
タイマンACTという劇団を背負う戦いを強いられ、その重責の中でベストを尽くさなければならない彼らの舞台は、一際大きな緊張感を放つものになるでしょう。
千秋楽が終わるまでが1つの公演。よって向き合う時間は公演中にも存在します。そんな彼らの公演期間中の出来事に焦点を当てた第23話。今回もしっかりと紐解いて参ります。それではどうぞ。
公演期間中に起きる変化
5話目にして初演を迎えた冬組の公演「天使を憐れむ歌。」。
ここまで実際の公演内容は座組ごとの最終話まで披露されなかったため、冬組は公演模様が2話かけて描写される初めての座組となりました(※秋組も5話目で公演は始まっているが、内容については言及されていない)
舞台演劇はほとんどの演目がだいたい2日以上(規模が大きくなれば1週間など)行われる文化ですから、本番初日を振り返って2日目に活かすということは実際に起こり得ます。舞台上での変化については夏組でゲネプロ→本番が扱われましたが、冬組では初日~千秋楽での変化を1つのテーマにしているようです。
演者にとってのラストは千秋楽ですから、それまでの経験は全てブラッシュアップの対象です。本番中に気負って失敗してしまったことや更に上手くできそうなところをおさらいし、その後の公演をより良いものへ発展させる努力を続けて行きます。
だからこそ、芝居は同じ演目を全通しても違った魅力を感じることができるんですよね。当日のテンションやアクシデントなども芝居の質に影響するように、公演期間中の裏での努力もまた1つの変化の要因なのです。
となると「より洗練されてくる後半のチケットを買った方が得なのではないか?」と思えるかもしれません。しかし実際は後半に行けば身体に疲れも出てきますし、慣れから来る慢心などがトラブルを引き起こす可能性もあります。中日での変化が必ずしも良いものである保証はありません。
初日の勢いは勢いで良いものですし、中日の安定感は演目をしっかり楽しむには丁度良いでしょう(なおトラブルが起きやすいのも"魔の中日"とされる)そして千秋楽の爆発感は、演目以上に役者個人個人の魅力を強く感じさせるものです。
どこを切り取っても同じ公演はあり得ない。
それぞれに違った楽しみがあり、そこに乗っている想いにも差があります。
この23話は冬組がそんな公演期間をどう過ごし、それが彼らの公演にどのような影響をもたらすのか。その一部始終に着目するストーリーとなっていました。
公演中以外ではプライベートを過ごす時間も存在します。ただ本人の気の持ち方が変化するだけでなく、周りからかけられる言葉や不測のトラブルによって変えられるものも存在する。演劇の面白さと恐さを最も大きく孕む、彼らの物語に着目して参りましょう。
迷走する紬
初回公演を満足行く出来で終わらせ、より芝居に磨きをかけて行く紬と丞。
しかしそんな彼らの努力を嘲笑うかのように、神木坂レニの悪意が彼らに襲いかかります。自劇団の稽古はどうしたと突っ込みたくもなりますが、こういう粘着質な悪役はやはり神出鬼没なほど味わい深いものです。
紬が独りになる瞬間を狙い、彼のコンプレックスを的確に煽る口撃を披露。冬組やMANKAIカンパニー全体を馬鹿にするのではなく、あくまで月岡紬個人を傷つけることで、彼らの芝居の崩壊を目論みました。
そして今の紬にとって最も精神的ダメージが大きいと言えるのが、「丞に迷惑をかけてしまうこと」でしょう。
現在は自己肯定感が高くない紬は、丞と対等な関係でいることを1つの指標にして努力している節があるように見受けられます。
レニがMANKAIカンパニーに移籍した丞のことを快く思っていないのは確実ですが、紬の前でその感情を露わにすることはしませんでした。丞が役者として一流であるという評価を下した上で、「君が丞の足かせになっている」という物言いを徹底して紬に襲いかかったのです。
そのせいで紬はレニの言葉に真っ向から反発することができず、まんまと神木坂レニの掌の上で翻弄される結果に陥ってしまいました。
他人に言われたからどうこうではなく、自分自身が「丞には及ばない」と思っている。それこそが最大の普段問題でした。普段は蓋をしている感情を無理矢理引っ張り出されれば、誰だってその現実から目を背けたくなるものです。
レニが月岡紬という役者と交流を交わした時間はさほど多くはないはずですが、これほどまでに周到に紬の精神的な弱点をつけるのは恐ろしい限りです。念入りな身辺調査によって導き出した結論か、オーディションの時に見た彼を覚えていて利用したのか、と言うところか。
どちらにせよ、レニが優れた見る目を持っているのは間違いないでしょう。
やり方の汚さは擁護の余地がないものの、主宰としての能力だけを見れば「さすがの貫録」と言わざるを得ません。
丞と比較して…
レニの言葉は紬の胸に幾つもの楔を打ち付け、確実に彼の心に小さなヒビを入れて行きました。と言っても、彼もここまでMANKAIカンパニーの一員として仲間と共に研鑽を積んできた身。敵方の言葉に動揺した程度で、芝居のクオリティを落とすことはありません。
しかしそこに更なる追い討ちをかける出来事が。丞目当てで公演を観にきた観客が、紬の芝居に難色を呈していたのが彼に聞こえてしまったのです。
これによって紬は自分の芝居に自信を持てなくなり、「芝居をもっと良くしたい」という想いが空回りを始めてしまいます。
丞を追いかけてMANKAIカンパニーまでやってきた観客は、あくまで「GOD座の高遠丞」を求めています。丞がGOD座仕込みの芝居からなかなか抜け出せないように、客もそのイメージを簡単に払拭することはできません。
したたかのレニのことですから、丞をNo.1キャストにするためのブランディングには念入りなものがあったでしょう。そして丞もまた、その立ち回りを堂々と煌びやかに演じ切っていたのだと思います。
丞は同じような芝居ばかりをやらされていたことへの不満はあったようですが、その実GOD座の演目自体を貶すような物言いをしたことはありません。何だかんだ言いつつも、丞の最も良いところが出せる演技をさせてもらえていたのは事実なのだと考えられます。
その彼が慣れていない新しいことをやれば、どうしても以前と同じ輝きを持つことはできません。そして、そもそもGOD座のオーバーアクトを"良い"と思っている者の感性が、今回の冬組の公演に適合する可能性は決して高くないでしょう。
芝居の力強さや熱量、それによる圧迫を好む者は、細かい技術や技巧に感銘を受けることはありません。またその逆も然りで、静と動のどちらともを楽しめる人は相応に「楽しむ努力」をしている人だけだと思います。
ですから、それを持って「自分の芝居は悪かった」と判断してしまうのは早計というもので。丞の芝居の良さを好む人たちが、紬の芝居の良さを理解できないのはむしろ当たり前。2人は全然タイプの違う役者である以上、その評価も二分されると考えて納得しなければなりません。
残念ながら紬はそれを冷静に割り切ることができず、タイマンACT直前の公演で芝居を変更するという暴挙に出てしまいました。
しかしそんなことをすれば舞台全体の調和が取れなくなり、皆に迷惑をかける結果だけが生まれます。それはそのまま、観客の満足度を大きく下げるところまで繋がって行きました。
丞に釣り合う役者になろう、丞を観に来た人にも喜んでもらえる芝居をしよう。
そう思って"良い"芝居をしようと一生懸命考えた結果が、全く見当外れの行動へと彼を走らせてしまいます。そこからさらに受ける自分の演技への酷評が、彼の心をさらに惑わせて行くのです。
分かってはいても
「丞の方が自分より上」だと思ってしまっている劣等感。それを事前にレニによって煽られたことによる焦燥感。それらが組み合わさったことで紬の心の内はぐちゃぐちゃになり、何が正常な判断なのか分からないところまで、彼の精神は圧迫されてしまいました。
「紬!お前…なんであんなことをした!?」
そしてその行動を誰よりもきつく強く糾弾するのが、他でもない高遠丞なのです。
幕が上がれば私情を挟むことは許されず、自分たちがやってきたことを信じて目の前の観客に最高のパフォーマンスを届ける。それこそがプロとして舞台の上に立つために必要な矜持です。
「そんなの…俺にも分からないよ!」
それを破って身勝手な行動を取ったことは、その背景とは関係なく糾さなければならない過ちです。ですが紬にとって今一番その正論を突きつけられたくない相手が丞なのも、また紛れもない事実でしょう。
「…クソッ!」
丞もそれを分かっていないわけではないと思います。けれどそれは「言わなければならないこと」で。対する紬にとってもそれは「認めなければならないこと」です。極めてドライに考えれば、彼らは感情的にならずに言葉を交わし合うべきでした。
それでも、人は"そうすべき"タイミングこそ感情を爆発させずにはいられない、そんな業の深い生き物です。故にそうできなかった先で何をするのか。その1つ1つの選択こそが、人生における大きなターニングポイントとなり得るのです。
今の彼らはチーム。1対1では正解を選べなかった分岐点も、周りで支えてくれている人たちの力添えによってプラスに転換させることができるものです。
あの時できなかった、でもそうしたかった想いを胸に秘めて。葛藤の中で、2人は新しい答えを探し求め始めました。
隣に立っていたいお前で
高遠丞は何故、月岡紬に怒りを向けるのか。演劇から離れて自分の前から去ってしまった戦友に、何故厳しく当たってしまうのか。
それは丞が自分の鬱屈した感情に蓋をするためでした。
本当は芝居を続けていてほしかった。自分の行動次第で彼を引き留めることができていた。そう確信を持って言える相手だったのに、自分が何もしなかったせいで彼は離れて行ってしまった。その自覚が、彼の感情を相手への怒りへと転じさせてしまったようでした。
人は意外と「本当に相手だけが悪い」という状態では、強い怒りをぶつけることができないものです。心のどこかで「自分にもこうなった原因がある」と思っていることほど、意固地になって相手を責めてしまう。そういうことがとても多いと思います。
客観的に見ると自分にも悪いところがある。そう自覚しているからこそ「それでもあいつが悪い」と思い込もうとする。罪悪感から逃れるために相手を執拗に攻撃し蔑むことで、自分を含む周りにその事実を誇示しようとするのかもしれません。
丞もまた、そういった側面によって紬を認めることができないでいる青年でした。紬が芝居の世界に還ってきた時にも喜びを見せることなく、高圧的に彼の真意を確認しようとしたのも、「自分は間違っていない」と自分に言い聞かせる側面が大きかったのでしょう。
結果として紬がそれにさえ耐えて決意を保ち続けたことで、丞は紬に再び心を開いて活動することを決意しました。冷静に考えると、紬はかなり頑張っていると思います。
紬が芝居の世界に戻ってきてくれれば、巡り巡って丞の失敗もなかったことになり得ます。逆に半端な気持ちで彼が還ってきたのだとしたら、丞はその罪悪感を再び刺激されることになったでしょう。丞からすればそこの差は極めて大きく、見極めにもシビアにならざるを得なかったはずです。
その複雑な感情が紬へのダイレクトな怒りとなったことが、序盤の丞→紬の態度の正体だと思っています。つまり丞は、自分の感情をコントロールすることなく紬に打ち付けていたことになるのです。
割とどうしようもない奴だなオイという感じだし、あまりにも身勝手すぎて紬がとんでもなく可哀想と言う他ありません。普段からこういったやり取りをデフォでしているとしたら、面倒臭い奴すぎて絶対友達少ないと思います。
ただそれは傍から見た場合の話であって、彼と長年密に接してきた紬にはそうではないのでしょう。
紬は高遠丞のその熱いところも含めて"友人"だったわけですから、彼が丞からの怒りを否定的に捉えることはきっとないのだと思います。
繰り返さない
そう思って過去の話を回想紬してみると、紬は丞から向けられる感情を、その質に関わらず好意的に受け止めていたような気がします。
何と言うか、反発して張り合おうとする瞬間が存在していないのです。
最初の内はそれを紬の自信の無さの表れだと思っていましたが、その実、受け止め方にはそこはかとない違和感がありました。ドヤされて萎縮する感じではないし、受け止めて改善しようと思っているようにも見えない。ただ丞からの感情を受け入れていたという印象です。
何とも思っていない奴になら怒りを向けることさえない。怒りを向けられるということは、それだけ自分が大切に想われていたということでもある。紬はそう感じていたから、「今の丞が嫌じゃなければ」を1つの目安に判断していたのかもしれません。
それだけ彼らは、深いところで互いの感情を理解し合える関係だったということ。だから紬が一方的に丞に怒られている瞬間はあっても、喧嘩になることはありません。それが当たり前で、彼らが取っている1つのコミュニケーションだからです。
それでも、そんな大切な相手の言うことでも聞きたくない瞬間がある。どうしてもその気持ちを聞き入れられないくらい、精神的に押し潰されてしまう時があります。
紬はそんな時、何も言わずに、迷惑をかけずに去って行ってしまう優しさを持った青年で。丞はまた、そういう肝心な時ほど相手を慮って押し黙ってしまう優しさを持つ青年でした。唯一無二の親友だった紬と丞は、別れる2人を繋ぎ止めるその瞬間の価値観だけが、決定的に噛み合っていなかったのです。
互いに互いを想い合ったせいで、2人はあの日に交わることなく別れを選びました。それは裏で互いの鬱屈した感情を育んで、抱えたままの罪悪感は2人の間に埋まらない溝を作り出してしまいました。
「丞さん。一度後悔したなら、
二度と同じことをしちゃ駄目です」
その彼らの抱えるトラウマは、解消されることなく同じ結末を描き出す。そんな悲劇の再来を直前で食い止めたのが、今の彼らに未来を指し示す者、MANKAIカンパニーの監督たる立花いづみでした。
「その時の紬さんには声をかけられなくても、
今の紬さんには声をかけられます」
彼らが過去のトラブルを乗り越えて、今一度共に歩むことを選んだ。
解けてゆく氷の一部始終を見届けた彼女は、もう今の彼らが昔とは違っていることを知っています。
「――悪い、先に寮に戻る!」
「はい。後のことは、任せてください」
丞が欲しかったのは、きっとその1つの後押しだったのでしょう。優しさは言い訳で、ただ相手と向き合うことから逃げていただけに過ぎない。そして、自分が彼に何を言うべきかも、もう全て分かっている。
後悔と恐れを胸に秘めて、高遠丞は駆け出します。あの日伝えられなかった気持ちを伝えるために、もう逃げ出すことは選ばずに。
お前のままでいろ
街中を駆けずり回り、丞が紬を見つけた先はあの日と同じ歩道橋の上でした。
紬が考え事をする場所にそこを選んだのは、同様の想いと後悔を今彼が抱えているからでしょう。誰にも頼らず誰に声をかけることもなく、あの日と同じように心を惑わせる。そんな彼の姿がそこにはありました。
ただ、紬もまた独りで当時と同じ選択をすることは、できなかったのだと思います。
同じ場所で立ち尽くし、離れることも続けることも選べないまま。どうしようもならない自己嫌悪の袋小路で彷徨っている。誰かの助けを求めて声無き叫びを上げているように見えました。
「あの時お前に言えなかったことを…今聞いてくれ」
そこに来た高遠丞は、"あの日の丞"とは違います。
失敗と後悔の先で、彼は隠してはいけない想いの存在を知りました。その想いを率直な言葉にして、彼は自分の感情を精一杯に伝えることを選びます。
「俺はずっと、お前の芝居が好きだった」
それは何よりも単純で、誰にでも言えるありふれた言葉。しかしそれこそが目の前の親友を救い出せる、高遠丞だからこそ言える強い言葉。そして惑う月岡紬が今、何よりも求めていた言葉です。
「――一緒の舞台に立てることが、誇らしかった」
大胆で力のある芝居を得意とする丞に対し、繊細でリアリティのある芝居を追求してきた紬。彼らは全く違った才覚を持ち、異なる輝きを放つ役者でした。
故に彼らは互いに憧れ合ってきた。自分にできないことができる相手の芝居を見て、もっと自分も上手くなりたいと切磋琢磨して歩んでくることができたのです。
それがGOD座の合否というたった1つの結果に左右されて、必要のない"優劣"が生まれてしまいました。ですがそれはその場においての指標に過ぎず、丞の中で紬の芝居へのリスペクトが消えることなどあり得るはずもありませんでした。
それを伝え損ねたことが、過去の別離のキッカケとなり。全ての事実は丞の中に自己弁護の怒りを燃え上がらせ、紬は彼への劣等感をより大きく募らせる。そんな最悪の結果に繋がってしまいます。
けれど本当はそうではなかった。ずっと丞は紬の芝居に惚れ込んでいた。自分には到底できない、自分の憧れる芝居をする紬のことが好きで、彼と共に芝居をずっとしていたかった。たったそれだけのことが言えなかったために、ずっと彼らはすれ違い続けてきました。
「お前はお前のままでいろ」
ですが、紬を責めてばかりだった弱い丞はもういません。自分の気持ちをはっきりと言葉にして、丞らしい言い方「そばにいてほしい」と親友の胸に気持ちを届けて行きます。
「俺が隣に立っていたいと思う、お前の芝居をしろ」
彼らが同じような芝居を同じようにする2人だったら、決して魅力的な演技を披露することはできなかったはず。全く別の力を持つ役者だったから、それぞれの領分で輝きを放つことができるのです。
1つのオーディションの結果がどうあれ、その事実は変わらない。高遠丞が月岡紬の芝居に導かれて、今の実力を得たことに変わりはない。だから彼には、胸を張って堂々と自分の芝居をしてほしい。それが丞が紬に向けられる、最大で最高の気持ちです。
「俺だけじゃない。あいつらだってそう思ってるはずだ」
丞が気にしていたように、それは合格した者だから言えること、上から見下ろす勝者の余裕だと受け取る人もいるのかもしれません。
しかし彼ら2人は決してそうなることはない。密な交流を深め続けてきた彼らなら、その言葉の裏に宿った情熱を、その言葉以上にしっかりと交わし合うことができる。そうに違いありません。
友からのまっすぐな想いを受け取って、月岡紬はずっと彷徨っていた暗闇から一歩前へと踏み出しました。
自分だけの芝居ではない、自分たちの芝居。
それをもっと"良くする"ための道標は、今ここにしっかりと明示されました。
神木坂レニの策略を逆に自分たちの力へと変えて、彼らは最高の状態で翌日の千秋楽へと歩みを進めます。因縁のタイマンACTにて、因果応報の結果を叩きつける彼らの活躍に期待します。
おわりに
冬組の初回公演は、丞と紬の関係性の発展に突き抜けた展開に。
2人の舞台経験者が牽引することで、より演劇の深みへと足を踏み入れる楽しみがあります。紬と丞の2人の「芝居の質」を関係性にあてがい、徹底して掘り下げてくれるのは非常に見応えがありますね。演劇を扱った作品という観点では、過去3組とは全く異なった味わいを持っているなと感じます。
『A3!』はキャラ物の作品でありながら、演劇の内情とは非常に真摯に向き合っているのが魅力です。アニメはどうしても制限の多い媒体。「芝居の面白さ」≒「作品の魅力」と考えるならば、まんべんなく触れることよりも突出した部分を重点的に描いた方が、「芝居の面白さ」は伝わりやすいと思います。
映像を伴った作品ですから、演劇の絵的な見え方を優先した創りになっているのは個人的には好印象です。その分、タイマンACTという『エーアニ』における最大の戦いがどう描写されるかには、しっかりと気を配って行きたいと思います。
さて残すところ最終回のみ。最後までしっかり書き切ります。また次回の更新でお会い致しましょう。それでは。
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