あんさんぶるスターズ!

キンプリオタクの『あんスタ』ミリしら感想 アプリ編㊻「追憶*それぞれのクロスロード」

2021年6月17日

朔間零の場合

"あの朔間零"まだ老いを一切感じさせることなく俺様キャラで通していた、現役バリバリの帝王の姿を垣間見る。「クロスロード」はそんな物語でもあります。

人間性も長年の付き合いである蓮巳でさえ、多くを理解できないほど自由で活発。それでいて真なる意味で"世界"を理解していて、どこかその大きな流れの奔流には逆らえないという達観・諦観を持っているように見える彼。

論理・思考力・才能・行動力・実行力。どこを切り抜いても群を抜いた能力を備えていて、当代における個人力では比肩する者がいないと言って相違ない。紛うことなき学院最大の実力者として朔間零は君臨していました。

その聡明さは幼少期から発揮されており、自身の論理性に絶対の自信を持っていた蓮巳に挫折を経験させたという経歴も。今までのストーリーからは2人が長期に渡った関係であることは読み取れなかったので、かなり意外性のある設定として頭に飛び込んできましたね。

しかしその能力の高さが、朔間零の人生を苦しめる大きな要因となってしまいます。零は墓石の上で一般人の相談に的確な回答したことをキッカケに、多くの人から同様の答えを求められるようになります。

程なくして彼の周りには老若男女の人間が集まり始め、迷える子羊たちを救済することが零の当たり前となって行ったようです。それはつまり、解決に直結するような""なる答えを、あらゆる人に零が届けることができていたということになるのでしょう。

それが実感の伴わない空論であったのなら、多くの人が「口で言うのは簡単」「どうせ私の立場なんて分からない」といった失望と共に彼の元を去ったはずです。

そうならないまでに本質を見極めて、正しく理解をしてしまえる。それも目の前に立つ全ての人に対して。あまりにも眉唾な話ですが、もしそんなことが少年時で可能であるとしたら、零はとんでもない視野と思考力を生まれながらにして備えているとしか言えません。

そしてそこからさらに踏み込んで「的確に回答できる」というのは、相談者本人よりもその生き方を分析して明確化できていることにも繋がります。それはある意味、本人以上の密度で他人の人生を疑似体験していると言っても過言ではありません。

よって彼が齢18にして圧倒的な感性と論理を携えているのは、短い期間のうちに人の何十倍もの"人間"に触れすぎてしまったことに由来しているのだと思います。しかもそれは"物語"ではなく、あくまで"リアル"。摂取したものの複雑性が、蓮巳の知見よりは遥かに深いところにあるのです。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

そういった経験は異次元のスピードで彼自身を成長させ、挙句全てを飛び越えて"老化"の域に達してしまったとして不思議ではありません。その結果が、現代の老いぼれた朔間零となったのでしょう。

あらゆることに感動できなくなるまでに"生"を堪能し尽くした彼を迎え入れたのは、自分と同じように人外の才能に悩まされた生涯の友と呼べる奇人たちでした。

今までの生き方に嫌気が差し、彼らと共に青春を謳歌した零には、「そうすべきではなかったのではないか」という罪悪感が残ります。ですがその新しい在り方は、絶対に代えることができない「自分の人生」の思い出となり得るもの。それを否定することなど、他者にできるはずがありません。

他人を生かすことに全力を注いだ先で、ようやく手にした自分自身。その満足感を持って、朔間零は"おじいちゃん"となることを選んだのかもしれません。「もういつ終わっても良い」という自覚を持つことは、精神を急速に老いさせる一要因だからです。

しかしそうなってから新たに見えることもあり、人生を諦めてから他人に"教えられる"ことも儘あるものだと僕は思います。そこから始まる新しい人生は、朔間零の心に新たな光をもたらすのではないでしょうか。

心は老いぼれでも、身体はまだまだ若者その物です。であるのなら、まだまだ彼には悠久の時を生きる資格があります。どれだけ多くの知見を得ても、絶対に予測のつかないことが起きる。その可能性を信じて、彼にはまだ前を進んでほしい。そう感じさせられます。

大神晃牙の場合

朔間零に憧れるまっすぐな1年生少年。想像していた以上にまっすぐでキラキラ。その前向きさはTrickstar結成以降の明星スバルに匹敵する。やはり、本質的に近しいところがある2人なのかもしれないなと思ったりします。

その心意気のみで零を圧倒し、「できれば関わりたくない」と思わせるのは純粋に見事の一言。物語後半の内容を加味すると、それがナチュラルにできることが只事ではないのは自明と言ったところです。

元々ロックが好きで零に憧れを抱いたと思ってきましたが、今回の内容的に朔間零に憧れたことでロックンロールに目覚めたという可能性も捨て置けないと感じました。素行の悪さと性格の良さが現代軸よりさらにチグハグで、要素と人間性の間に大きな違和感が存在しています。

零のような経験と実績を持った理論派であっても、「話が通じない相手」にはどうしても勝つことができません。それがただただ馬鹿な者なら取り合う必要もありませんが、良い意味で突っ込んでくる者を邪険にすることは難しい。少なくとも零はそういったタイプの人間でしょう。

特に零の本懐は英智や蓮巳のような論破ではなく「他人に分からせること」だと思うので、一方的なやり取りはそもそも得意ではないのではないでしょうか。そう考えると「分からないのにめげない」「分からせる気もないのにしょげない」晃牙は、とにかく"相性が悪い"相手だったのかもしれません。

まるでこちらの意図は通じていないはずなのに、何故か懐かれて寄って来られてしまう。その性質はどちらかと言うと人間ではなく動物に対する"困り事"であり、これが現代軸の零が晃牙のことを「わんこ」と呼ぶことの原点に当たるのではないかと感じました。

そしてそういう意味も意図も謎めいたままに自分を求めてくる相手のことに、人はどうしても強い愛着を持ってしまうものだと思います。自分が相手をどう思っていたかはさして関係がなく、「自分を想ってくれている」という事実に報いたいと考えるのが人間です。

そういった小さな報酬を与えているうちに、だんだんと真なる意味で相手のことが愛おしくなってくる。そうやって思いもしなかった相手に価値観を変えられながら、新しい自分に出会っていく。これこそが長く生きていることの醍醐味の1つです。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

年老いてくるとだんだんと人に求められる機会も少なくなり、自分が生きている意味を実感することが難しくなります。

その心の穴を埋めるために、自分を振り回してくれる相手=動物を飼うことを選ぶ老人も少なくありません。

(擦り切れて消えてなくなっちまうぐらいに、毎日毎日こうやってギター掻き鳴らしてるんだ!)

若い頃には「ウザい」「面倒臭いだけ」と思っていた人でも、意外とペットを育てることにハマってしまったり、それが生き甲斐になったりすることもあるでしょう。余生を共に過ごす相手は、儘ならぬ相手であればあるほど楽しいものです(※アラサーの意見です)

(そんな俺を認識してくれ! あんたが真正面から、その地獄の王さまみたいな真っ赤な瞳で俺を見てくれたら!)

そう考えると、晃牙を中心としたUNDEADの面々や2wink2人は、朔間零にとってそのような悦楽をもたらしてくれる相手に当たるのかもしれません。

(俺、その瞬間に死んでもいい……!)

表舞台から退いた老兵に、新しい人生の楽しみを与えてくれる存在。それを良しとする道標を朔間零に与えたのが、大神晃牙の純粋さだったのだと僕は思いました。

それぞれのクロスロード

物語終盤、地下ライブハウスの治安改善に再挑戦する蓮巳に、零は一度だけ彼の仲間になることを約束します。

自分を上手く使って件の混沌を解決できるならば、以降も蓮巳の仲間としてその力を奮うと。だからそのための方法を整えて、精一杯自分にぶつけてみろと発破をかけるのです。

それを言葉通りに受け取って、蓮巳が考え出したのが「デッドマンズライブ」です。朔間零の力を使うことで理想的な勝利を実現し、同時に不良たちを従わせる権限を得る。過去の失敗からしっかりと学習し、より綿密で抜けの少ない作戦を練ってこの一件に挑戦しました。

最終的に得るべきものが何で、そのためにどこまでを達成すれば良いのか。そういった取捨選択もしっかり考えられたその計略は、確かに零をも感心させるクオリティに仕上がっていました。

ですが強く固く練られた戦術であればあるほどに、数少ない欠点の脆さはより際立つことになります。一点集中でその穴を貫かれれば、取り返しのつかないレベルで全てがバラバラになってしまう。そのことに、蓮巳はやはりまだ気付けていないようでした。

蓮巳の計略が抱えていた最大の問題点。それは最強の戦力である朔間零の威信と権力を最大限に利用した方法論だったことです。

この一件を成功で終わらせることができれば、その力を今後も有効に活用することができる。そうであるならば、朔間さんの力を見せつける形で利用した方が長い目で見て有効である。その判断自体は正しいものですし、論理的に考えて悪い選択であるとは言えません。

ただしその論理は「完全に朔間零を御せるなら」という前提に基づいています。彼が抜け穴を通って蓮巳の元から離れてしまった場合、戦略の全ては完全な抜け殻と化し、完全に無意味なものとなってしまうでしょう。

蓮巳の選択はその場におけるベストではあったのかもしれませんが、より広い視野で見ればやっていることはほぼギャンブルと同等の挑戦です。あまりにもハイリスクハイリターンな賭けに、蓮巳は出てしまっていると言えました。

もちろん零の論理を純粋な暴力で抑え込める人材(鬼龍)を確保するなど配慮は行き届いていて、"勝ち"をより手近に引き寄せる準備を蓮巳は決して怠っていません。頭の中では、分かっている情報の範囲では、蓮巳は今できる精一杯を体現したに違いありません。

しかしそれでも、どれほど練り込んでも戦略に抜けが無くなることは絶対にないのです。何故なら、蓮巳敬人が朔間零の全てを知り得ていることは絶対にあり得ないからです。

零が何を想って蓮巳に協力し、何を求めてそこに立っているのか。
蓮巳の戦略には、その朔間零個人の感情が全くと言って良いほど含まれていませんでした。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

劇中で零は「個人として協力する」と言ってくれているのに、蓮巳は零個人を作戦の一部に取り入れようとはしていません。あくまでもその能力だけを考慮して、味方として利用する作戦を立てました。

結果として蓮巳は「朔間零」という超常の存在の力を行使しようとしているだけで、朔間零という人間の感情を慮ることをしていません。それが今回蓮巳敬人の犯した、唯一にして最大の失敗でした。

Curse

誰よりも朔間零と長い付き合いであるが故に、彼の能力の高さ、その恐ろしさを誰よりもよく知っている。

故に蓮巳敬人は、表面的な彼以外のことを知ることはできません。"そういう人"だという前提を払うことができない以上、本当は零が心の奥底で何を思い、何を抱くのかに想像を馳せることができません。

それは幼少期からの付き合いというものに共通して存在する盲点で、決して蓮巳が悪いという話ではないでしょう。ただ彼らは時間を共にしすぎてしまったせいで、真に分かり合う機会自体を損失してしまった。その事実が変わることもありません。

蓮巳にとって朔間零はそれだけ大きな存在で、畏怖と敬意を持って接するのが当たり前の相手でした。けれど、朔間零が求めていたのは対等に言葉を交わし合える相手。自分を変に持ち上げず、横に並べて共に歩んでくれる仲間ないし友こそを彼は望んでいました。

だから本当は、"坊主"にそこまで登ってきてほしかった。

自分が気まぐれに手を伸ばしたのだから、それを掴んで上に上がってくる。最悪、自分のところまで引きずり下ろすくらいのことを、彼にしてほしいと零は願っていました。

心のどこかで「それはきっと叶わない」「自分たちはここで道を違えて元には戻らない」と思いながらも、そうしてくれる可能性が最も高い相手にそれを求めた。何もしなければそのままだった関係を壊すリスクを取ってまで、新しい発展を零は新たに望んでいたのです。

この時の零はそれほどに精神を摩耗し、疲れ果ててしまっていたのでしょう。何にも感動できず、誰にもその気持ちを理解されない。そんな状態のままたった独りで求められる"朔間零"をこなし続ける。その地獄から抜け出す術を、他人に求めざるを得なかったのだと思います。

「なぜ、協力してくれない? あんたが旗頭になってくれたら、悲惨な現状を改革するのも不可能じゃないはずなんだ! 俺だけじゃ無理だ、ちからを貸してくれ!」

長い付き合い。積み重ねてきた論戦の歴史。そのやり取りは紛れもなく本物で、2人は相応に大切な間柄でもあるでしょう。

それでも、どれだけ多くの交流を交わしても。勝ち負けから始まった関係には必ず"優劣"が伴います。片方だけが勝ち続けているのなら、最終的に劣等は優等にへりくだる他ありません。

「俺は……こんなに簡単に、一生懸命、考えて練り上げた計略を覆されてしまうぐらい弱いんだ。助けてくれ、お願いだ朔間さん」

そしてそうなってしまえば、その行動は零にとって身勝手に助けを乞うてきた他の有象無象と何ら変わりがないものになる。

それを解決するのに、朔間零がどれだけの時間を使ってきたのか。蓮巳敬人は知る由もありません。その裏側を想像して、彼に寄り添おうとすることもありません。

だとすれば蓮巳敬人という人間への情こそあれど、その願い自体を特別扱いする必要が、朔間零に果たしてあると言えるのでしょうか?

Crowd

自分は特別な才能を持った人間である。それを周りから突き付けられるのは、ある意味で非常に酷なことです。

大抵の場合、天才と評される人の裏には他人が知り得ない甚大な努力が存在しており、それを理由として大きな成功を結実させるものです。故に彼らはその努力を持って「自分は特別ではない」と自己判断し、同様の性質を持つ者とコミュニティを結成できます。

ですがその中に一部だけ、本当に生まれ持った特性のみで他人を大きく凌駕してしまう人間も存在します。単純な成果では測れないその"才能"を持つ者たちは、できてしまう苦しみを誰かと分かち合うことができません。

その中で零は""という観念に対する理解という点で、圧倒的な才能を持ってしまっているのが不幸でした。つまり彼は誰かの期待に応え続ける限り、「自分は他人とは違う」という現実だけを常に突き付け続けられることになるのです。

「なぁ坊主、一個の人間として生きていきたい、幸せになりたいってのはそんなにだいそれた望みか。自分のために生きたいってのは、傲慢か」

本当は同じ人間なのに。
そう思っても、それを否定する術を零は持ち得ない。さらに彼に備わったその才能は、自分の立ち位置さえも客観的に評価できてしまうのではないでしょうか。

「みんな、そうやって生きてるんじゃね~のか。どうして、俺だけは駄目なんだよ」

結果として朔間零は人と接すれば接するほど、自分が"人外"である事実を意識させられます。

他人は自分の才能を、在り様を崇拝し、自分とは違う能力を持った存在であると奇異の目を向けてくる。何者でもない群衆は、無自覚の攻撃性を持って朔間零の心を蝕んで行く。何より他でもない自分自身の才能が、自分にそれ以外の評価を下すことを許さない。

「俺が人間じゃない、吸血鬼みたいな魔物だからか? おまえまで、そんなふうに俺を評するのか?」

そこに期待はあったのでしょう。今のままで朔間零を正しく評価し、受け入れてくれる人間。自分の想像を超えて、自分の横に並び立とうとしてくれる理解者。その出現と邂逅への期待が。

だから蓮巳は最後のチャンスとして、その"朔間零"を自由に扱う権利を与えられました。それを与えるのなら、少なくとも現段階では「坊主」が適任であると零は考えていたのだと思います。

「人間じゃね~なら、人間の役に立ってやる義理もね~んだけど?」

しかし零の想いも虚しく、その期待が果たされることはありませんでした。

最も近くで自分を見てきたはずの、本当の友人になれるかもしれなかった人間にさえ、その能力だけを注視した"使い方"を考案されてしまう。挙句の果てに、彼は他の者と同じように自分に縋り、懇願し、助けてくれと頭を垂れることしかできなかった。

だからそれが本当に最後の最後。今への諦めは、零に新しい生き方を選び進むための決意を宿らせました。

朔間零という屍体を埋葬し、自分のために自分の生を謳歌する人間へと生まれ変わらせる。

そのための儀式として、デッドマンズライブを利用する。他の誰かの望みを叶えるのではなく、ただ自分の望みを叶える生き方をするために。それが零が下した決断であり、きっと元々考えていた最も可能性の高い結末でもあったでしょう。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

全てが予定通りであり想像通り。心を乱す理由など一切なく、ただ淡々とそこで起こった事実をこなせば良いだけのこと。しかしそれ故に朔間零と蓮巳敬人の胸に宿った失意と絶望は決して交わることはなく、互いに共感し得るものでもありません。

「おまえは、まだまだ若造なんだし……。考える時間は、たっぷりあるだろ」

現状を理解する者とそうでない者。その差は明確で、もはや並び立つことはどうしても敵わない。この日を境に、朔間零と蓮巳敬人は全く違う生き方へと歩みを始めることになりました。

エピローグ

夢ノ咲学院というフィールドにおいて、大きな決別を経験することになった朔間零と蓮巳敬人。しかしそれは決して悪い結果ばかりを生んだわけではありません。

零は蓮巳を突き放しながらも、彼の情に報いることは決して疎かにしませんでした。

蓮巳が真に目指すべきものが何なのか、どうして自分がその計略に協力することができなかったのか。その理由をしっかりと言葉で彼に伝えていたからです。

零が無慈悲に突いて抉り出した穴の仔細まで含めて、蓮巳にとってデッドマンズライブは人生最大級の失態に繋がったことでしょう。ですがそういった未曽有の失敗は、本人次第でその後の人生を明るくする最高の経験となり得るものでもあります。

蓮巳はその全ての経験を糧にして、英智の革命を成功させる台本を作成。それは才ある者の目を通せば「不出来」と評される代物であっても、その時点における成功を導く力を持った内容に仕上がっていました。

そしてその中に組み込まれた「五奇人」という大きな括り。そこで朔間零は、あの日に諦めたはずだった理解者との邂逅を果たします。奇人たちが同じ苦しみを分かち合う真なる友となれたのは、「クロスロード」で2人が道を違えたことによってもたらされた功罪だったのです。

結局、蓮巳敬人は朔間零の"特別"になることはできませんでした。けれど、そのおかげで朔間零は得難き"特別"に辿り着く。

その願いと想いは姿形を変えて、確かに彼らに新たな幸福をもたらしました。

さらに蓮巳は自分を"特別"だと思ってくれている友の目的を成就させ、その未来で起こった新たな"革命"の実現に本当の光を見出します。

あの時あの場所で彼らが選んだ決定は、お互いを傷付けることしかできない愚かなものだったのかもしれません。当時はそれしか選べなかったのだとしても、そこに残る負の結果が容認されるわけではないでしょう。

ただし互いが互いに「あれは必要な経験だった」と思えるようになっているのなら。無情な過去として刻み込まれた傷跡も、正しい思い出となり得るのではないでしょうか。

光に満ち溢れた夢ノ咲学院で1年間を過ごした彼らは、もうあの時の2人とは全く違う人間です。ですがその過ちを理解したところで、彼らは再び共に歩むことを望みません。それをする意味も必要もないことを、もう彼らは心で感じ取っているからです。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

長い人生、袂を分かった相手と再び手を取り合う巡り合わせは出てきてしまうものです。そこに至ったとして、それは必ずしも良い時間になるとは限らない。それが現実だと思います。しかし彼らの歩みがそんな中途半端なものではないことは、もはや自明と言ったところでしょう。

再び交わった先で、互いの今の居場所に誇りを持っていることを分かち合える。その時に彼らが果たし合う感情は、きっと対等なものであるに違いありません。

引用元:『あんさんぶるスターズ!!Basic』「追憶*それぞれのクロスロード」

全ては結果論。それでも辿り着いた場所に、今なお幸福が満ち満ちているのなら。その過程を追憶することには、必ず大きな大きな意味がある。

これは1つの終わりが導いた、たくさんの始まりの物語。光と至る「それぞれのクロスロード」が、確かにそこには存在していました。

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はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。美少女よりイケメンを好み、最近は主に女性向け作品の感想執筆を行っている。キャラの心情読解を得意とし、1人1人に公平に寄り添った感想で人気を博す。その熱量は初見やアニメオリジナル作品においても発揮され、某アニメでは監督から感謝のツイートを受け取ったことも。

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