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アニメ『FGOバビロニア』第5話感想 賢王ギルガメッシュ かつての友に馳せる想い

2019年11月7日

 

引用元:https://anime.fate-go.jp/ep7-tv/story/?story=05

5話です!
藤丸立香の個性が発揮された第4話、その最後で拠点に現れたのはなんとあのギルガメッシュ王。

王直々に"雨樋"まで足を運ぶという想像もつかなかった展開に、藤丸とマシュも仰天です。これはもしや緊急事態では…と身構える彼らに、悠々と王は言い渡すのです。

「今回は俺自らが仕事を言い渡す。喜べ藤丸立香」

激動の第5話。「ギルガメッシュ紀行」スタート。
感想をしたためて参ります。よろしければお付き合いください。

人の王 ギルガメッシュの姿

第5話はやはり、一話通して大活躍だったウルク王ギルガメッシュについてしっかり見て行きたいと思います。

ギルガメッシュと言えば最早『Fateシリーズ』に無くてはならない存在であり、関連作品を辿って行くと最も出演作品数が多く、活躍の機会も深いサーヴァントです。

最古の英雄譚とされるギルガメッシュ叙事詩の主役にして全ての英雄の原点。そして全ての宝具の原典を持つとされる英雄王。

傲岸不遜で傍若無人。
一度怒らせれば誰にも止められず、反抗しようものなら死の制裁が飛んでくる。

「お前の物は我の物」がモットーで、逆らうものをその財を惜しみなく振るうことで淘汰する人類史最強の金ピカ英雄の生き様は、どこかの作品で一度触れていれば決して忘れられない印象度を誇るでしょう。そんな人物像は、2話でマーリンの口からも語られていましたね。

しかし今回の物語ではその"英雄王"ではなく、様々な困難と挫折を経験し価値観が老成した"人の王"たる姿での登場。

英雄王時代はその振る舞いで民衆に迷惑をかけまくる暴君そのもの。それはもう酷い有様だったそうです。しかしこのギルガメッシュは民を想い、国を想い、災禍から全てを守るために才と財を惜しみなく振るう者。粉骨砕身する姿は"賢王"と称されています。

この5話はの前半では、彼の優れたところが多数見受けられました。

賢人たるウルクの王

突然の王の来訪に驚き身構える大衆に向かって、緊張を和らげいつも通り過ごすにように伝えるギルガメッシュ。民草と向き合う表情と言葉、声には威圧的な意図が一切感じられず、しっかりと相手のことを考えて行動しているのが分かります。

英雄王たる彼であれば、決して取ることのないであろう態度です。そして今回の映像作りからは、王に対して畏怖の念を抱いている民衆があまりいないように見えるのも面白い。

好奇や驚きを見せる者は多くいても、彼を恐れて避けようとする人間は全くおりません。現在のギルガメッシュ王は、本当にウルクの民から厚い信頼と信望を受けているようです。

彼の振る舞いの細部や大衆の反応は、アニメになったことで初めて明らかになった部分。賢王ギルガメッシュの存在感をより決定付ける一幕となりました。

ギルガメッシュは子供に対しても優しい。
もっとも、子供を尊重する性格は生来のものであり、暴君たる英雄王の時分から子供には好かれる存在だったはずです。「子供は将来的に我が財となるもの」という考え方は、一貫して持っているのかもしれませんね。

また子供とのやり取りでは初めて見る遊びに理解を示し、「知らないの~?」というナチュラルな煽りにも「"まだ"知らんとも」と冷静に返すなど、英雄王との大きな在り方の違いを見せてくれましたね。

英雄王たる彼は、この世に存在する原典以外のものを"雑種"と呼び、相手にしない傾向があります。それは武器などだけではなくあらゆる文化に当てはまる価値観です。

彼にとって自らが振るわぬものは全て取るに足らない存在のはずですが、このギルガメッシュは新しいものの存在を見極め、存在意義を理解して評価する。そんなこともしっかりできる"王"なのです。

4話までに見せた英雄王の延長とも言えるテンションは完全に成りを潜め、全く新しい魅力を孕んだ、余裕ある王としての立ち振る舞い。ウルク王ギルガメッシュとしての方向性を、短い時間でしっかり感じ取ることができました。

そんなギルガメッシュと藤丸達のお忍び旅が始まって行きます。

アニメ化によって感じられたこと

シドゥリの目を掻い潜って万全の準備を済ませ、藤丸とマシュの間に割って入る形で同行するギルガメッシュの3人旅。水質の観測という王命…そして王自身が同行するにはいささか地味な内容で動き出しました。

旅の途中で存在するはずのない俳句を詠み出したり、自身が治めるウルクの自然や藤丸達との旅を満喫する賢王。

その声のトーンは落ち着いていて穏やか。
声を張り上げることもなくしっかり目の前の人と向き合っており、個人との対話を重んじます(英雄王はいつも星と向き合って話しているので人と会話をしない)

原作ではこのギルガメッシュの日常会話のボイスを聞ける機会はなく、このアニメが初めての音声化&映像化です(バレンタインはテンション高めだからね…)アプリ作品ということで地の文による解説もなく、明確な方向性は個々人の頭の中という具合でした。

文面からも英雄王とは全く異なったテンションで喋っていることは伝わってきていたものの、いざこうして目に見え耳に聞こえる形になると、その態度や発言性の大きな違いには様々な想いが込み上げてきます。

何と言うか「このギルガメッシュはやはり英雄王とは別の存在なのだな」より強く実感できた気がします。もちろん良い意味で、です。

英雄王と人の王 その明確な違い

人の王である彼が見せる人としての姿。
今までにしっかりと体感したことがない全く新しいギルガメッシュを今見ているなという気持ちが、強く込み上げてきました。

例えば笑い方1つ取ってもそう。
英雄王の頃からよく笑う王ではあったものの、それも常に威圧的かつ高慢な高笑い。今回ほど純粋に穏やかに笑う彼の姿を見たことはありません。

他にも誰かに施しを与えることはあっても、人の話を聞いて褒めることはほぼなかった。満足そうに藤丸とマシュを見て、自分よりも楽しそうにしていることに満足するのも、器の大きさを感じさせます。

無礼な言葉をかけられても憤慨することもなく嗜め、「しょうのない奴め」とでも言いたげな表情を浮かべるギルガメッシュもまた、初めて見る彼の一面です。

この5話の前半は、英雄王と人の王の違いをはっきりと提示する目的があったように思え、とにかく彼が穏やかで落ち着いた賢人であることがフィーチャーされた物語となっていました。

その上で英雄王と同じように自分を上げて高いところに置こうとし権威を誇示する姿は、何だか逆にお茶目にも見えてしまい、親しみやすささえ覚える。これは原作時点で彼が大きな人気を博するに至ったパーソナリティーでもありますね。

その賢王が、積み重なった政務を一旦放棄し、この地に赴いてまで調査したかったこととは一旦何だったのでしょうか。

実際の彼の大きな目的は調査その物だけではなく、ある人物との邂逅の機運を感じ取ったからだと思われます。彼は、未来を見通す千里眼の持ち主ですから。それは、この5話の後半の物語に関係してきます。

"エルキドゥ"襲来

「呆れた。随分と危機感が薄いんだねぇ…君達は」

海沿いで過去に想いを馳せて黄昏る藤丸とマシュ、カルデアのロマニとダヴィンチの元に襲来したのは、"あのエルキドゥ"です。時速500kmで飛来する規格外行動は、正しく神々が生み出した兵器だからこそ為せる業。

しかしエルキドゥはとっくの昔に死んでいる。
これは過去のエピソードでしっかり確認できた事実。つまり彼らの目の前にいるエルキドゥはエルキドゥではないことは確定的と言えます。

「うん。君達は正しい。僕は"エルキドゥとしては"偽物だ」

そのことは彼本人でさえ認めます。
だとしたら、目の前にいる彼は一体何者なのか。

マシュはその偽物から人理焼却を引き起こした原初悪である魔術王の気配を感知。敵対する彼が何者かは依然分からないものの、倒さなければならない敵であることは確実に。

「僕は壊れるまで人間の敵だ。何があろうとそこは変わらない」

神々の兵器である彼が語る宿命。
しかしそれは人と共に歩むことを是としたエルキドゥの思想とは全く異なったもの。これは、彼が決して「エルキドゥではない」ことを決定付ける台詞でもあります。

「それを今、君達の命で証明しよう…!」

放たれる天の鎖 身体に残された記録

エルキドゥ(仮)は異空間から大量の点の鎖を展開し、マシュ目掛けてそれを射出。そのあまりの数の多さにマシュのシールドでも完全には凌ぎ切れず、ダメージを受けてしまいます。

無数の武器を一面に展開することで、対象に絶え間ない攻撃を浴びせ続ける。これは無数の財を持つ英雄王ギルガメッシュの宝具「王の財宝」の一斉展開と全く同じもの。ギルガメッシュ生前唯一の友と呼ばれた、エルキドゥだからこそ真似できる芸当と言うべきでしょう。

「無尽蔵に刃を作り、惜しみなく叩きつける…。それがこの身体が行う、戦闘の"最適解"だ」

マシュを吹き飛ばし、エルキドゥではない彼はロマニの提示したギルガメッシュの情報に、語気を強めて反論しました。

「同じ戦いをするのなら…寧ろそいつの方が僕の真似をしているのさ!」

マシュと藤丸にトドメを刺すべく最後の天の鎖を射出するエルキドゥ。しかしそれは2人に命中することはありません。

「――ほう?」

武具を投擲しエルキドゥの攻撃をギリギリで止めに入った人物がいたからです。

それは、この展開を予期していたかのように仁王立ちする、ギルガメッシュ王その人でした。

「それは異なことを」

生涯唯一の友と認めたエルキドゥの零基を持つ似て非なる何かと、彼は初めてここで邂逅を果たすこととなったのです。

ギルガメッシュとエルキドゥ

「これは我の記憶違いか? あの時我が脳裏に閃いた新戦法は…無駄遣いの極みと罵られたはずだがな?」

エルキドゥ(仮)が最適解と豪語した戦術は、無数の宝具をあられもなく射出する贅を貪り尽した方法論。幾ら英雄王と言えど、手持ちの宝具には限りがある。サーヴァントではなく生前の戦術であれば、引き留められるのも無理はありません。

しかしその否定した彼の身体は、武具に際限がない環境下ではその戦術を合理的と判断し、自らに兵器の"記録"として残していた。これは知性を持ったエルキドゥが、兵器としての合理性とは別の判断軸を持っていたということの表れです。

そして今目の前にいるエルキドゥに似た者は、その記録を振るえる立場にあるものの、エルキドゥと同じ価値観と"記憶"を共有できるわけではないということでもある。

にも関わらず、彼はギルガメッシュの発言を否定してかかろうとします。経験したことがない過去。知り得ない事実。身体に刻み込まれた在りし日の2人の記憶が、"エルキドゥとしての彼"を刺激します。

「お前が…ギルガメッシュ…!」

その姿を見て何を感じ取ったギルガメッシュ。
眼の前にいるエルキドゥが彼を騙った偽物ではなく、彼の身体と記録を利用した「同じ存在にして違う者」であることが、きっとその一瞬のやり取りで分かってしまったのでしょう。

「…他の何に見えるか」

英雄王たるギルガメッシュを知り得ながら、エルキドゥとは異なった怪物。愁いを帯びた顔で、ギルガメッシュは彼の言葉に応えました。

「――間抜け」

僕は原作をプレイした時、戦闘時のギルガメッシュはもう少し、英雄王たる豪胆な振る舞いを維持しているものだと思っていました。心に抱え込むものがあっても、態度には強くは出ていないのではないかというのが私見でした。

ですがこのシーンがアニメ化されたことで、彼がここまで顔や態度に「哀しみ」を表出してしまうほどに、心を痛めて"エルキドゥ"と向き合っていたことが判明。これには衝撃を受けました。

ギルガメッシュが見極めるもの

「冷静沈着な兵器としての無駄のなさはどうした? 戦闘を楽しむなぞ、貴様らしくないぞ"エルキドゥ"?」

ギルガメッシュは眼の前の存在がエルキドゥとは別人だいう確信を持っているはずです。

ですが、彼はそれをエルキドゥではないものとして決して扱わない。あくまでもエルキドゥとして受け入れた上で、彼との戦闘に臨むことを選んでいます。

マシュや藤丸からの「偽物」という助言にも「それにしてはよく出来ている」と評価。この言葉は偽物であると判断したのではなく「この存在が贋作なわけがない」という意思表示であったと考えられます。

そもそもギルガメッシュは全ての原典に据わる王として「偽物」の存在を酷く嫌います。混じり気のあるものは蔑みこそすれ否定はしませんが、贋作に対する怒りは真正なもの。それは賢王となった今も変わらないと考えられます。

そんな中で、偽物として存在する今のエルキドゥを彼がそのまま容認するわけがない。だからギルガメッシュ王にとって今自分と相対している存在は、エルキドゥ以外の何者でもないのです。

「この地球上で最強の創造物は僕だッ!」

神々の最強兵器たるエルキドゥの身体は、自らの力を誇示しギルガメッシュに襲い掛かります。

「お前のような半端な創り物は…要らない!」

半神半人であり神を嫌うギルガメッシュ。
その中途半端な存在と、人間の王という今の在り方。その全てを彼は否定して行きます。

それに一切の反論すらせず、ただ憂いを帯びた顔でその"エルキドゥ"を見詰め続けるウルクの王。決して他の人間には見せることはないであろうその表情の裏に隠れている気持ちは、一体どのようなものだったのでしょうか。

唯一無二の友人として

「お前は…何だ!?」

エルキドゥの最大の攻撃を原作のB攻撃演出を彷彿とさせる「王の財宝」で迎え撃つも、相殺は敵わず。残りの攻撃を受ければ討ち死には確実という状況。

ですがその攻撃は王に命中することはありません。
"彼"の身体に宿った"エルキドゥ"の記憶と思わしきものが、それをさせなかったのです。

「…………」

それはギルガメッシュにとって、"エルキドゥ"が"エルキドゥ"であることを裏付ける事実になったことでしょう。

そして彼はそれを心の奥底で感じ取っていたからこそ、防御の構えを取ることもなかった。あくまでも友人としてのエルキドゥを信じたのです。

心内トラブルにより行動が立ち行かなくなったエルキドゥは、ギルガメッシュ達にトドメを刺すことなくその場を撤退。藤丸達は辛くも大きなダメージを負わないままに、何とか戦闘を終えることに成功しました。

「そろそろ来るだろうと思っていたが、見事な悪運だったな…」

藤丸とマシュの疑問に明確な回答はせず、それでいて彼らの反応を否定せず非難せず邪険にせず、最低限の言葉を持って会話を終わらせました。その立ち居姿からは、緊急時であっても冷静さを失わない賢人としての品格が滲み出ています。

2人に残された記憶 苦悩する人と神

「僕の方が強い…あの王より僕の方が強いはずなのに…」

撤退した先で自らの行いと意志の矛盾に苦しむエルキドゥ。身体が持つギルガメッシュとの穏やかな日々の記憶。旅路でギルガメッシュが話した、この2人が共有する「楽しい旅」の記憶。それが今の"彼"の心をより強く苦しめます。

「あいつは殺すべき相手だ…。でも話を…いや会話をする余地はない…」

初めて出会った唯一の友人の変わり果てた姿に、無言で想いを馳せるギルガメッシュ。藤丸達にも伝わるほどに、あのギルガメッシュは憔悴しショックを受けているのが見て取れます。

「――ただ殺す。…殺…す…」

噛み締めるように、自分に言い聞かせるように、エルキドゥである自分とエルキドゥではない自分の歪みを埋めるため、ひたすらにうめき声を上げるエルキドゥではない物。程なくして"母さん"という、エルキドゥにはない目的を柱に彼は自我を取り戻します。

「――そうだ…。僕はエルキドゥでは…ないのだから…」

そしてジグラットに戻ってからも、"彼"のことを考えてしまうギルガメッシュ。もう二度と会えぬはずの死んだ友。友であるはずのない物。異なった2つの在り様を内包した1つの存在。それとどう向き合うべきなのか。

人として考え、苦悩し、天を仰ぐギルガメッシュ王の姿を、大きな満月が煌々と照らし続けます。

この2人が紡ぎ出す物語の結末は、果たして…。

おわりに

この5話は、「バビロニアをアニメ化してくれて良かった」と心から思える一話になっていたと思います。

とにかくエルキドゥとギルガメッシュの関係性がアニメ的な演出でより色濃く描かれたことと、人の王となったギルガメッシュの生き様がより良い形で体現されたのが良かった。

『FGO』から入った人はギルガメッシュの人としての側面を強く見ていると思うので、イメージ通りのアニメ化だったのかもしれません。

僕の場合ですが、『Fateシリーズ』の他作品を押さえていることにより、どうしてもギルガメッシュを知っているとそのイメージに引きずられて『FGO』をプレイしています。

そのためプレイ時に想像していた以上にセンチメンタルな王の姿に心を打たれてしまいました。と言うか、ここまで憂いを帯びたギルガメッシュの姿を想像することができなかった、というのが正しい。

だから、賢王の賢王らしいところが映像で見れたことが本当に嬉しく興味深く、今後のアニメがより楽しみになる演出と展開で最高でした。

まだまだ始まったばかり…と思っていても実は21話しかないのでもう1/4が終わってしまったということ…。尺的に激しい展開が予想されますね…。

固唾を飲んだ見守った2人の物語も今後より広がって行きますし、4話で決意を見せた藤丸達の話もより込み入って進んで行きます。今後とも楽しんで見て行きましょう。

お読み頂きありがとうございました。

※『FGO バビロニア』の記事更新は5話にて終了しました。お読み頂きありがとうございました。

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はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。美少女よりイケメンを好み、最近は主に女性向け作品の感想執筆を行っている。キャラの心情読解を得意とし、1人1人に公平に寄り添った感想で人気を博す。その熱量は初見やアニメオリジナル作品においても発揮され、某アニメでは監督から感謝のツイートを受け取ったことも。

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