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【ミリしら超感想】『A3!』第17話 七尾太一の「告白」 過ちの先で見た光

2020年11月14日

 

引用元:https://www.a3-animation.jp/story/s17.html

十座の熱意あるポートレイトに心を動かされた万里。自身の敗北を認めて、彼もまた本気で芝居の世界へと足を踏み入れました。

これで秋組も万全の状態に。あとは全力で稽古を積んで、今用いる力の全てで本番を迎えるのみ。

そんな彼らの気持ちを折ろうとするかのように、本番直前でアクシデントが巻き起こります。それは何者かによって衣装がビリビリに引き裂かれてしまうというものでした。

ギリギリの状況で葛藤する秋組は、果たしてどのような選択をするのか。そして彼らの公演を妨害しようと企む者は一体誰なのか。

一連の事件を取り巻く、秋組のクライマックス前半戦。その物語を紐解きます。

観客を喜ばせること

公演2日前にして衣装を失い、呆然と立ち尽くすしか無くなった秋組のメンバー。

残りの日付を考えれば絶望的な状況。本番に衣装が急ごしらえできたとしても、もう通し稽古やゲネプロを満足に行うことはできません。秋組も舞台に立つのが初めての者ばかりなだけに、甚大なダメージを受けるのは確定的です。

衣装があるのとないのとでは、できる稽古の質にも差が出ます。気持ちの入り方はもちろんですが、何より衣装の材質や形状のせいで練習と同じように動けなかったり、舞台上での見栄えや目線が異なっていたりするからです。

実際の舞台で実際の衣装を着て、本番さながらに段取りを確認する。積み重ねてきたことが、問題なく本番で発揮できるという安心感を得る。これが役者にとってのゲネプロを行う理由であり、1つでも欠ければその価値は激減してしまいます。

何を優先するべきかの判断が難しい状況の中で、監督が選び取ったのは「ゲネプロを中止にして、完璧な衣装を本番までに修復する」ことでした。中途半端な練習を行うよりも、観客に完璧な舞台を見せることを彼女は優先しました。

厳密に言えば、リハとゲネを行わないで"完璧"という言葉を使うべきではないかもしれません。しかし、観客が観に来るのはその時その場で行われる「一度っきりの舞台」。裏での努力量やミスは彼らには伝わらず、あくまで目の前の芝居に感動できたかどうかのみで判断される。これは夏組の公演が示してくれたことです。

衣装の不完全な舞台は、それだけで見るものに大き不満を与えてしまうでしょう。そしてチケットを買ってもらっている以上、仕方ないでは済まされません。事情を説明して分かってくれたとしても、「残念だな」という観客の気持ちは消えないのです。

これらを加味して行くと、衣装の復元に全力を注ぐことはこの場におけるベストである。そう言って間違いないと思います。たとえ直前稽古を行えず、コンディションが乱れている状態でも、観客を喜ばせることを考えるなら選択肢はこれしかありませんでした。

加えて秋組の公演ではありますが、衣装を作った瑠璃川幸も今ではMANKAIカンパニーの劇団員。いづみとしては、彼の熱意を汲みたい意図もあったのかもしれませんね。

秋組もスタッフも一丸となって成功を目指す彼らの初回公演「なんて素敵にピカレスク」。困難を乗り越えた先には、より大きな充実感と達成感がある。彼らならきっと、それを掴むことができるでしょう。

今回活躍したキャラクター達

それでは今回も奮闘した秋組の面々を1人ずつ見て行きましょう。

摂津万里

今回は目立った活躍はなかったものの、全体を通して何かのキッカケや進行を促す台詞が非常に多かった印象。

これはもう彼がリーダーとしての自覚を持ち、秋組の公演を全力で成功へと導こうとするようになった結果でしょう。秋組はそれぞれが一生懸命に芝居に臨んでいましたが、全体を引っ張って行く存在がいないのはやはり弱みだったと思います。

しかしそれは事前に取り決めた「リーダー」の意思を尊重しようとする者が多かったことの裏返しとも言えます。あれだけやる気のなかった万里のことを、不平不満も漏らさずに皆がリーダーだと認め続けてくれていたということです。

それがあるからこそ、単純に万里の変化がそのまま秋組の変化として分かりやすく物語に反映されていると思います。十座含めて「あんな奴リーダーとは認めない」と突っかかる人が1人もいなかったこと。それを、この17話で改めて強く実感できました。

「ミシン秒で覚える!」と言って本当に手際よくミシンを扱う姿はなんかシュール。本当に何でもそこそこできるんだな。今回は彼の持つその個人スキルが、秋組全体の問題解決に活かされる形だったのも良かったと思います。

兵頭十座

「テメェのしたことは許されねぇことじゃねぇ。でもテメェのことは許す」

名言であり至言。「罪を憎んで人を憎まず」とは言いますが、こういう言葉を現代的に使うなら十座の台詞くらいが伝わりやすい。交友関係とはこうありたいものだと思わされますね。

今回は台詞を飛ばした左京をアドリブでカバーするというファインプレーを披露。本来は彼の出番ではないシーンで登場し、話を繋いで元に戻すという荒技です。

この手のトラブルの場合、登場している者が上手く場を繋ぐことで乗り切るのが一般的。出番がないはずのキャストが参入してしまうと、その後の段取りや裏での動きに影響が出る可能性があるからです。

物語の展開に矛盾が生じてもおかしくありませんし、そもそも演じているキャストがついて来れるかも分かりません。なので、普通はやるべきではないのがセオリー…と言うか普通は恐くてできないでしょう。

十座は大胆にもそれに打って出て、見事に舞台を救済しました。若さ故の真っ直ぐな行動とも取れますし、稽古に熱心に臨んできた自信と仲間への信頼が彼を動かしたとも取れますね。

舞台に上がった彼の芝居はまだ固く、素人感が拭えない質感であったことは変わりません。しかし舞台上でどう振る舞うかや、機転の利かせ方は単純な演技力とは異なった才能です。

特に大胆なアドリブを放ったり受け止めたりするのには、技術とは違う精神的な度量が必要です。優れた役者でもアドリブに弱い人はいますし、その弱点を自覚してガチガチにプランを固める人もいます。十座はその点の"役者力"では、他の人よりも優れているのかもしれません。

何より彼が今までの人生で積み重ねてきたものが、ちゃんと芝居に活かされているというのがグッと来るところ。「違う誰かになりたかった」と叫んだ彼の中には、ちゃんとそれを実現するための"自分"が秘められていたんですね。

まだまだ役者 兵頭十座は粗削りで。でも光るものもちゃんと見せてくれています。より大きく羽ばたいてくれることを願っています。

伏見臣

オカンを飛び越えて菩薩になった。

今回は大きな壁に直面した太一を導く役割に徹してくれました。この人にだったら言い出せる。そう思わせてくれる人が座組の中にいなかったら、太一はきっと言い出せないままMANKAIカンパニーを去ったはず。そのまま芝居も辞めてしまっていたこと思います。

荒くれ者の多い秋組の中に、臣のような心優しい人物が入っていたことが今回の問題の解決を導きました(※太一が臣のポートレイトを見た時どう思うのかがとても気になる)

太一が何かを抱えていたことに気付いていたのに、それに寄り添ってやることができなかったと頭を下げる姿がとても印象的で。ただ割とマジな話100%関係ない(それを言い出したら全員同じ立場になる)ので、彼が謝ることが客観的に良い印象を与えるかは微妙なところでしょう。

それでも、あの時の太一にとっては「分かろうとしてくれる人がいる」という事実が、凄まじい心の支えになったことと思います。結果として臣は、太一の心を救い出すキーパーソンとなりました。

臣としては、まっすぐな熱意や夢を隠したままにこの世を去った親友と、大きなものを抱えて走っている太一を重ねてしまうところがあったのかもしれません。

薄々勘付いていたにも関わらず、それに手を差し伸べてやることができなかった。それは彼にとって、向き合っておかなければならない人生の課題になっているのではと、そんなイメージを受けました。

土台無理な話なんですけどね。人の隠した気持ちを全て察して応えることなんて。でも今の伏見臣がその理想を追いかけているのなら、それを応援してあげたい。その過程には必ず、彼の優しさに救われる人たちがいるでしょうから。

古市左京

おいメンタル豆腐かヤクザ。
1ミスに対する落ち込みようが凄すぎてビックリしてしまった。

などと手厳しい指摘はほどほどに。それだけ「始めるのが遅すぎた」ことが、彼のコンプレックスになっていたということでしょう。

ここまで年長者として振る舞って自分を誤魔化してきましたが、本番での大きなミスによってその面目も潰れてしまい。ただただ左京の中には「年齢」という劣等感だけが残ってしまったと解釈しています。

僕も左京と近しい年齢のまぁまぁな大人ですが、歳を取るとはそれだけ"恐れ"が増えることだという実感があります。

何かあった時に勇気を持って行動できなかったり、どこかのミスが頭をチラついて縮こまってしまったり。特に用意してきたものが通用しなかった時など、ビビってしまうことが多くなった気がします。

それを持って「歳を取ってしまったな」と思わされることが多く、芝居のような実行力が求められる現場では尚更その恐怖心が大きな引っ掛かりになると思います。左京もまた、そういった年齢のジレンマに悩まされる1人の人間なのでしょう。

ですがそれは自分で自分の可能性に蓋をしてしまうことでもあります。年齢を重ねることは悪いことばかりではありません。それだけ若者にはない経験と論理を蓄えているということですから。その積み重ねは表現の世界において必ず大きな武器になり得ます。

もちろん歳を取っている以上、若者と同じことをして同じ土俵に上がるのは不可能で。やればやるほどに、年長者はどうしてもそこの差を認識させられてしまうと思います。そしてそれはどうしても"老い"という概念と重なり、引いては"諦め"の結論を導いてしまうのです。

だから左京がぶつかっている壁は、たった1つのミスで急に反り立ったものではありません。彼が直面しているのは「最大の後悔」と共に積み重ねてきた、固く強くうずたかい壁。見て見ぬふりをして避けていた、彼の人生そのものです。

今回彼はいづみとの会話を経ることで、その壁を打ち破ることへの挑戦を始めたのだと思います。

蓄積された恐怖心は、新たな一歩を踏み出す大きな足枷となる。しかし枷の存在を理解した上でなお前に進もうとする者からは、他の者には出すことができない重みと色気が表出される。それこそが、"老い"ではなく"年季"ある者にしかできない表現です。

「俺に本気を出させたことを後悔させてやるよ」

年齢も立場も関係ない。チャレンジャーはいつだってチャレンジャー。障害を乗り越えて前に進む者には、等しく未来への可能性が宿る。古市左京の役者人生は、ここから始まります。

七尾太一の苦悩

今回主役となったのは秋組の最年少、七尾太一くんです。

ここまでほぼ活躍のシーンがなく、ポートレイトもカットされ、どんな役で出演しているかも分かっていない。あまりに何もしていないものだから、意図的に出番を削られているとしか思えない存在でした。彼のようなキャラに対して「影が薄い」という言い方をするのは適切ではないでしょう。

その実態は、MANKAIカンパニーを敵対視する大手劇団「GOD座」のスパイ。主宰である神木坂レニにメインキャスト起用をチラつかされて、彼の作戦のコマにされてしまった少年でした。脅迫状を送ったのも、衣装を切り裂いたのも彼だった。信じ難い事実がそこにはありました。

ですが彼の落ち込みようや謝り方を見れば「途中で改心した」のではなく、「最初から嫌だった」ことを誰もが感じられるのではないでしょうか。だから万里は彼にポートレイトを要求したのだと思います。

七尾太一を理解する上でまず押さえていてあげたいのは、「何故スパイに選ばれたのが彼だったのか」という点でしょう。

レニの考えた作戦は陰湿極まりないもので、演劇を愛す者であればどんな人間でも嫌がる内容です。劇団内に広まりでもしたら厄介だし、万一外に漏れれば威信に関わります。だから「こいつなら絶対に要求を呑む」と思える相手を慎重に選ばなければならなかったはず。

そこでレニが選んだのは、「強い熱意を持ちながらもくすぶっていて」「周りに劣等感を抱いていて」「いなくても困らない実力の役者」。この3つが揃っている者は動かすのはたやすく、切り捨てるのも簡単です。

渋ったとしても「従わなければ退団させる」と言えば絶対にNOとは言えない。役者にとって所属とは1つの就職先のようなもの。特に才能の伴わない者にとっては、大手の劇団に所属しているという事実は自身の存在証明とさえ言える。捨てることなどできるわけがありません。

それを理解して彼のような少年の純心を踏み躙ることが、どれだけ卑怯で許されないことか。太一の使い方だけで、神木坂レニが相当な悪人であることがよく分かります。

ですがそれは、七尾太一が本当に心の底から「演劇人でいたい」「演劇を一生懸命やりたい」という想いを持っていることの証明でもありました。そしてそれは巨悪に「利用価値がある」と思われるほどに、強く大きくまっすぐなものでもあったのです。

それはMANAKIカンパニーの活動の中で昇華されて。苦悩した彼は自分の本当にしたかったことに気付いて行きます。

懺悔のポートレイト

七尾太一が芝居を始めた理由は、全く目立てる個性を持っていない劣等感を埋めるためでした。

不器用で無個性で何をしても上手く行かない。そんな彼が唯一目立てた瞬間、それがエキストラとしてドラマに出演した日だったのでした。

太一のような人間ほど、1つの成功体験が麻薬のように人生観に影響してしまうもの。

特に子供にとって「テレビに出ていた」というのは理由関係なく「最もすごいこと」に括られる事実の1つでしょう。相応に太一が受けた肯定感情は、凄まじく大きいものだったのは間違いありません。

それから芝居の世界にのめり込んだものの、やはりエキストラはエキストラ。幼き日の彼も「誰がやっても同じだから出られた」だけで、実際に演じる才能があったわけではありませんでした。現実とは無慈悲なものです。

太一がそれを強く自覚させられたのは、同じ高校の皇天馬の芝居を見せつけられてしまったことで。天馬の才能は太一の目から見ても飛び抜けていて、自分はひっくり返っても"それ"にはなれないと理解します。

つまり七尾太一は中高生という多感な時期に、早すぎる人生の挫折を経験してしまったのです。それがどれだけ辛く受け入れ難いことだったか。とても想像がつきません。

だからこそ彼はお芝居に執着し続けてしまった。「絶対に無理だ」と分かっていながら「それしかない自分」を捨てられず、心に大きな歪みを抱えたまま走り続けていたのでしょう。その執念を神木坂レニに見抜かれて、最悪の形で利用されてしまった。

「舞台の真ん中に立てる!台詞もたくさん貰える!」

「もっともっと芝居ができるんだ!!」

どれだけ努力しても手に入らなかった地位と名誉。一度として果たされていない、全力で芝居してみたいという欲求。それを刺激されて抗える少年が、1人の役者が、世の中にどれだけいることでしょう。

彼がしたことは決して許されることではありません。けれど、そもそもそんな選択を迫られること自体が常軌を逸している。それもまた、事の大きさとは別に慮ってあげなければならないことです。

MANKAIカンパニーに入団して彼は学びました。GOD座よりも遥かに小さい劇団で、アンサンブルなんて存在しない少数出演のこじんまりとした芝居。当たり前のようにメインキャストを与えられる甘い環境の中にも、確かな情熱が存在していることを。

「お芝居がやりたいっていう気持ちは同じでも、役を貰うために卑怯なことをしている俺とじゃ雲泥の差だもん…」

どんな舞台にも一生懸命取り組む人たちがいて、自分だけ良ければ良いと思っている人なんて1人もいない。1つのものを創り上げるためなら、どんな場所にも等しく強く大きい情熱が宿るもの。それを壊すということが、どんなことで、何を意味するか。

「だから一緒にいればいるほど、みんなを遠くに感じた」

過去の彼はそこまで気が回らなかった。
自分のことだけでいっぱいいっぱいで、真ん中でスポットライトを浴びている人たちがどんな想いを持っているのか。そこまで考えて思いやる気持ちを持つことなどできなかった。

「俺はここに入れない…入っちゃいけない…」

それが「1つの舞台を滅茶苦茶にする」という命令を呑んでしまった七尾太一の弱さ。でもそれは同じ立場に置かれれば誰もがそうなる可能性のある、「認められたい」という呪縛。

彼は決して特別な人間ではありません。至って普通の男の子で、普通の感性を持つ1人の人間です。だから彼を"特別扱い"して、自分たちとは違う"悪人"だと断定して突き放すことに意味があるとは思いません。それでは解決できるものも解決できなくなってしまうから。

「俺は一生償えない罪を犯したんだ…」

誰もが誤った選択をして、消えない罪を犯す可能性がある。そしてその選択の瞬間は、意外と日常生活のすぐそばに転がってしまっているものです。だからこそ、そうなってしまった時に何を省み、何を悔いるのか。最も重要なのは後悔の先にこそ存在します。

選択の後にある新たな選択。それこそが後の人生を決定付ける真のタイミングです。

七尾太一の「マイポートレイト」は、彼にとって懺悔の一幕。間違ったことをしたとしても、その熱意は見ているものに伝わることもある。ギリギリのところで、彼は本当の自分を曝け出すことができたのです。

不完全だからこそ

「太一、お前はどこの七尾太一なんだよ?」

太一のポートレイトを見た秋組は、誰1人として彼のことを責めようとはしませんでした。

「良いから。言ってみろ」

むしろ彼がそうしたのも仕方がないと、一切の非がないと言わんばかりに彼の存在を受け入れたのです。

「お前が本当の居場所だって思うところを言えば良い」
「太一はいたいところにいて良いんだ」

彼の入った座組が、秋組だったことは不幸中の幸いだったと言えるのでしょう。

何故なら彼ら秋組は全員が、大きな後悔と挫折を抱えて舞台に立っている者だったから。世間的に言えば決して真っ当ではない人生を歩みながら再び立ち上がり、今は新しい"夢"を追いかけている。そんな人たちの集まりだったからです。

彼らにとって失敗は「あって当然のもの」であり、それがあるから前を向けることも分かっている。失敗や間違いを許容できない者は、MANKAIカンパニーの秋組には1人として存在していないのです。

「俺は…俺は――」

それを指して「でも悪いことは悪い」と言う人もいるでしょう。「そんな風に許すのなんておかしい」と納得できない人もいるでしょう。それもとても正しい意見で、決して否定されるべきものではありません。

でも"彼らにとっては"そうじゃない。ただそれだけのこと。
彼らはそれを糾すよりも、その罪を抱き込んだ彼を改めて仲間として迎え入れる。そんな"選択"をする少しだけ道を外れた者たちなのでした。

「MANKAIカンパニーの…!秋組の七尾太一ッス!!」

皆が皆、清廉潔白で生きていくことはできないから。罪を犯した者にも、救いを与えられる場所があっても良い。しっかりと本人が変化を望むのであれば、やり直しの機会は与えられて然るべきである。

MANKAIカンパニー秋組はまだまだ不完全。
だからこそ皆で不完全さを許容し、前に進むことができる。

目指すは千秋楽までの全公演大成功。公演中に成長して行く者たちの光を得て、その未来へ向かって駆け抜けます。

おわりに

これで全員の個性が出揃いました。
秘匿されてきた七尾太一もしっかりと爆発してくれて、6話目を清々しく迎えられそうです。

これだけ出番がないと流石にどうなることやらと思っていた節はありますが、ポートレイトを活かして彼が裏で何を感じていたのかを総ざらいする展開は秀逸の一言。ここまでの他のキャラの活躍があの時間で一気に彼の上にのしかかり、走馬灯のように駆け巡りましたね。

全く活躍していなかったという印象だった太一が、急に全てのシーンで活躍の場を持っていたかのような印象に切り替わる。このどんでん返しは、待っていた分だけ大きなカタルシスとなって大きな充実感を与えてくれました。

秋組は初回公演におけるまとまりが群を抜いている気がしますね。春組夏組は話に明確な中心がありましたが、秋組はそれが「全員で1つの物語を創り上げること」に設定されたシナリオになっているからでしょう。キャラの活躍に過不足がありません。

そんな彼らが描いてくれる秋組の最終話。どんな有終の美を飾ってくれるのか楽しみです。より熱量込めた記事にできたらなと思います。

それではまた次回の記事で。またお会いできたら嬉しいです。

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はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。二次元イケメンを好み、男性が活躍する作品を楽しむことが多い。言語化・解説の分かりやすさが評価を受け、現在はYouTubeをメインに様々な活動を行っている。

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