「紅」だこれ
そう思った方も多いはず。言わずと知れたX JAPANの名曲中の名曲。その空気や雰囲気と行ったものが「革命の夜に」という楽曲からは聴き受けられます。
ここからは筆者の妄想ですので、本記事とは分けて執筆しました。
本記事→『楽園への進撃』をまだ聴いていない『進撃』ファンへ。10,000字ロングレビュー
奇しくもOPテーマを担当したYOSHIKI feat. hyde。インタビューによるとOPが決まってからEDを創り、その後にその他の曲を創っているそう。流石に関連性を疑わずにはいられません。
引き出しが少ないからパクったとか、そんなことがあり得ないのは自明です。Revoの今までの作曲歴、スタンスを考えればそれだけは断固としてあり得ません。かと言って偶然似通ったという線も薄いと考えられるため、ここでは多くの方々の想像と同じく、意図的にオマージュを入れたと仮定して話を進めます。
OPとEDというテーマ曲同士の関係。その繋がりからリスペクトの意味を込めた曲を書いた。これだけでも十分に熱い展開なのですが、個人的にはそれ以上の意味もあるはずと思い立った次第。
よろしければ、1つの解釈としてお楽しみくださいませ。
X JAPANが日本音楽界に与えた影響とRevoという音楽家の関連性
Revoの創る表題曲のような音楽は主にシンフォニックメタルというくくりで語られます。
物語音楽というジャンルに勤しんできたこともあり、Revo自身の引き出しの多さは言葉1つで語り切れないものではありますが、ことLinked Horizonにおける表題曲についてはこのジャンルに当てはめるのがベストであると僕も考えています。
シンフォニックメタルというのはロック系ミュージックの中でも更にコアな部類に属すジャンルであり、いわゆるポップカルチャーからは少し離れたところに位置しています。マニア層に絶対的な支持者はいても、大衆向け娯楽として成立させるには越えなければならないハードルが幾つもある音楽のはずでした。
日本においてそのハードルを飛び越えさせたのが、X JAPANというアーティスト。さらに細かく言えば、その最有名曲である「紅」がシングルカットされたことではないでしょうか。
X JAPANの躍進がなければ、自分達の創る音楽はもっと日陰で楽しまれるものだったのではないか。そういった想像から、Revoも1人の音楽家としてX JAPANに対する特別なリスペクトがあるのではと推察します。
言わば、「紅」が発売されたその日は日本音楽界にとって紛れもない"革命の日"でした。メタルサウンドの歴史が大きく動いた1日です。
その「紅」がシングルカットされたのは1989年9月1日のこと。この9月1日という日付は「革命の夜に」のFULLサイズの公開予定日と一致しています。
※この事実は僕もツイッターで知りましたのでちゃんと告白しておきます。
Revoの過去を見ていると、CD発売前の楽曲のFULLがいきなりラジオで公開されるということ自体珍しい話。しかも1コーラスやPVサイズの発表なども一切ない(便宜上)カップリング曲のFULLサイズがいきなり公開されるというのは、音楽業界全体を見てもあまりないことではないかと思います。
なので、当日は「今回は攻めてるんだな」くらいの微妙な違和感を覚えながら「革命の夜に」を聴きました。すると、流れてきたサビの質感は紛れもなくアレです。
ここまでの情報を通して見て「意図的にやった」のだとすれば、この謎の違和感にも説明がつきます。RevoはYOSHIKI=X JAPANに対する「音楽家としてのリスペクト」を楽曲の中に込めたのです。
「革命の夜に」という楽曲を体現するに当たって、自分達の音楽についての"革命"的要素をメロディに取り入れる。
ここに同アニメのテーマソングに起用されたのでオマージュしたという表面的な理由の他にも、1人の表現者として、1歩踏み込んだリスペクトが含まれているのではないかと思えてしまうのです。
日付合わせがなければ、ここまでは思わなかったかもしれません。でも、ただ面白いじゃんという理由だけでは、そういうことをしないのが我々の知るRevoという男…でしょう。
OPテーマ担当変更という"革命"
『進撃』3期ではEDテーマを担当することになったLinked Horizon。テーマ曲はどうしてもOPの方に目が行くもの。ネットでは、この起用変更について「リンホラが降ろされた」という表現も散見されました。
映画の副題に曲名が利用されるなど、TVアニメ『進撃の巨人』にとって確固たる支柱の1つとなっていたリンホラの変更は作品ファンにとっても小さなことではなかったと感じています。むしろ、長年のRevoファンの方が「まぁそうだよな」と思ったくらいかと。
Revo自身についてもインタビューで「正直寂しさはある」と語ってはいます。彼にとっても、気持ちのターニングポイントになったということかもしれません。
その悔しさ(と書いてさみしさと読む)があるとすれば、OPテーマ変更を1つの"革命"の形と捉えるという見方も可能です。サビに「紅」のメロディを引用することで、テーマソング変更における現実の動きを内包した楽曲に仕上げたのです。
そしてその"革命"の形は1つではない。表もあれば裏も成立するでしょう。
つまりLinked Horizonが再びOPテーマを担当し、勝鬨の声を上げる。その"革命"の瞬間への準備を表現しているとも思っています。
これはどちらが正義とか悪とか、勝ちとか負けとか、優劣の話ではありません。作品にリンクさせて、どちらがどっちの立場とかそういうことも言いたくありません。
ただ作品のコンセプトアルバムを創り「僕が全て必ず歌にする」と歌い上げるほど、Revoという男は『進撃』に対し強い想いを持っています。プライド、誇りとも言うべき彼のこだわりや熱意は、相手が誰であっても「奪われたものを奪い返したい」という強い心の動きを生んでもおかしくありません。
EDを担当したからこそ、次はまたOPをと思うかもしれません。
そのような彼の心の動きが要素として感じ取れる曲。そういう解釈があっても良いのではないのかなと思いました。
「人間の飾らない正直な心情」というのは『進撃』の語る大きなテーマの1つとも繋がります。少々卑屈に見える考察かもしれませんが、そういう要素が音楽に滲んでいても面白いなと思っています。
[amazonjs asin="B07FYBGYCS" locale="JP" title="楽園への進撃 初回盤"]
まとめ
オマージュとパクりのラインというのは物凄く曖昧なもの。
特に超有名曲であれば尚更のことです。ただ引用するのではなく、自分の曲の1部に混ぜ込んで活かし成立させるというのは、もう滅茶苦茶にハードルが高い方法だと思います。それを平気でやってのけ、叩かれることもないのがRevoの実力とキャリアの完全なる裏付けになっているとも感じます。
「革命の夜に」関しても、ほぼ確実に「紅」意識であることを聴き手に伝えながらも、実際は「紅」と全てを同じくしているわけではありません。
「紅」であることは分かるのに、冷静に聴いてみると物凄くそっくりというわけではないはずです。専門的な音楽知識は豊富ではないので上手く語れないのですが、これも創りの巧みさなのでしょう。
積み上げてきたものがあれば、オマージュのアプローチ1つでここまで色々と「感じさせる」ことができる。また1つ表現の新しい可能性を見せてもらったな、と。
この解釈が、皆様が「革命の夜に」ひいては『楽園への進撃』を楽しむ一助になれば幸いです。
長い妄想にお付き合い頂きありがとうございました。また是非 地平線関連の記事でお会い致しましょう!