色んな意味で物議を醸したあの第7話から1週間後。果たして焔とうるうの運命的な(?)関係性や如何に…!と多くの人が固唾を飲んで待ち望んだ第8話。
1周目と同じ流れであればここでうるう回…のはずでしたが、まさかの1つ飛んで今回の当番は卉樹族 陸岡樹果!
このタイミングであえて順番を変えてくるのに、何か意味はあるのだろうか。そんな不穏な想像の切っ先を、ほぼ無関係の樹果くんが向けられるとはあな恐ろしやと言う他ありません。ある意味で彼らしくもありますが、そこまで周りに翻弄されなくても良いと言ってあげたくもなりますね。
焔とうるうの話も大事なものの、それはこれ、これはこれ。樹果にとっては1人に2回しかないであろう当番回の2回目です。蔑ろにするわけには参りません。
禁忌其の捌「暴力」。
樹果の心と内容に寄り添う形で、しっかりと執筆して参りましょう。
卉樹族の生き方と樹果の心
チルカの不意打ちにより、命に関わりかねない深手を負ってしまった焔。
うるうの咄嗟の行動に救われた先で、卉樹の力を使い彼を癒していたのが樹果でした。女王が過去に言っていた「最悪の事態に対する備え」とはこのことだったのでしょう。
夭聖が傷付いた時に本質的な治療を行えるのは恐らく夭聖だけで、それを"能力"として持っているのが卉樹族です。つまり樹果は、パーティ絶対に必要な「回復役」だと言えました。
卉樹族は夭聖界において、個人の治療を行う医者のような役割をこなす他、環境保全や世界の管理なども仕事の一環となっているとのこと。
何かがあった時には必要とされるものの、何もない時には目を向けられることはない。それが卉樹族の生き方でした。むしろ前線に出るなど目立った仕事をこなせないことで、白い目で見られる機会さえあるのかもしれません。
一般的に介護やライフライン系の仕事は「文句は言われるが感謝はされない職務」だと言われています。"あって当たり前"のものほど、無くなった時に管理者の責任を問いたくなってしまう。その人間の身勝手な思考は、作風的に夭聖にも適用されると考えるのが自然でしょう。
その苦労を知りながらその仕事を全うすること。それは非常に誉れ高いことであり、多くの人には真似できない誇りある生き方だと思います。誰からも目を向けられないとしても、自分は"世界"に貢献できている。その充実感は、時としてあらゆる精神的障害に打ち勝つ力となり得ます。
しかし実際にそう思える人は、決して多くはないのが現実でしょう。誰だって本当は目に見える形で褒められ、行動に見合った感謝を求めてしまうもの。それを他の感情で代替できる人もいるとは言え、絶対にそれを求めてしまう人がいる事実も無視することはできません。
樹果は蘭丸に褒められて認められた時、作中で最も大袈裟に照れて喜ぶ素振りを見せていました。つまり彼は、卉樹族の仕事自体にネガティブな感情を持っているわけではないのでしょう。そうであるなら、褒められて喜ぶこと自体ないはずです。
故に樹果が本心で抱いているのは、「人前に出て颯爽と事を為し、多くの人からの賞賛を浴びる」そんな"カッコいい生き方"への憧れなのではないでしょうか。
前述の通り卉樹族に与えられたのは、受け入れられる人とそうでない人に大きな壁がある仕事です。その内容の崇高さと関係なく、生き方その物に納得ができないということは十分にあり得ます。
その納得できない側に樹果が該当してしまっているとしたら。生まれながらにして卉樹族の運命を強いられてしまっていることは、今の樹果にとって苦痛以外の何物でもないと言えるのでしょう。
ただ人間(夭聖)の考え方というのは、たった1つの大きな経験で簡単に変わってしまったりするものです。
今の樹果がそうであっても、未来の樹果がそう思っているとは限りません。彼の父親や親族も、最初からそう思っていたかは分かりません。だから人も夭聖も、生きて行く上でなるべく多くの経験をして、多くの人と気持ちを通わす必要があるのだと思います。
樹果にとって1つ1つの戦いが、自分の生き方の肯定に繋がって行くものなのかもしれない。
そんなことを思いながら、残りの物語をしっかりと追いかけてあげたい。第8話の物語は、僕にそう思わせてくれるものでした。
搾取される女性 亜瑠
劣等感にモヤモヤしている樹果が出会ったのは、保育士として身を粉にして働く女性 亜瑠でした。
パワハラ園長のせいで新人が寄り付かない上に先輩が産休に入ってしまったため、まさかのワンオペで園児たちの世話をするという狂った労働環境。諸悪の根源である園長は亜瑠に全ての仕事を押し付けて、好き勝手に遊び回る放蕩者と来ています。この世の地獄か。
しかし彼女はどうにも、その仕事を辞めようという気はないようです。その理由は今の仕事のことが好きであり、何より世話をしている園児たちのことが好きだからでした。
だからどれだけ劣悪な状況になろうとも、亜瑠は一生懸命に働きます。自分を慕ってくれる子供たちのために、自分を犠牲にして幸せな時間を作ろうと努力し続けるのです。
「美しい自己犠牲。
だが…散った命を労う者は、世界の頂点にはいない」
ですが彼女を使い仕事を任せる者にとって、その想いはただただ好都合なものになり得ます。
特に指示をすることなくとも馬車馬のように働き、たった1人で複数人分の仕事をこなす。自分は一切手をかけずとも、手元に利益だけを齎してくれる。そんな願ってもみない労働力を、使い倒さない理由はありません。
ただその心の内にある善意を上手いこと煽って、「子どもたちのために」と詭弁を弄せばそれで良い。それで彼女がどれだけ傷付き疲弊しようとも、園長にとっては大した問題ではありません。
亜瑠が働かないということは、イコール子供たちが不幸になるということです。それを彼女が容認するわけがないと分かった上で園長は彼女を利用しています。故に園長は状況問わず亜瑠に罪悪感を与え続けるだけで、彼女を好き勝手に酷使することができてしまっていました。
それはある意味で亜瑠が望んでやっていることではありますが、当然キャパシティを超えた労働は間違いなく彼女の心を圧迫します。
声を上げることさえ許されず、園児を人質に取られ善意を搾取され、それでも現状に抗うことを選べない。そんなどうしようもない優しさを持っているが故に、亜瑠はひたすらに自分を傷付けて前に進むことしかできなくなっていました。
自分のことだって
激務のせいで風邪をひき、高熱が出てもなお理不尽を押し付けられる亜瑠は、絶望の中でさえ自分の仕事を全うすることを選んでしまいます。
それも無理はありません。彼女の務める保育士は、多くの人に必要とされるものでありながら、その実「完遂できて当たり前」とされてしまう難しい仕事です。
保育園幼稚園に子供を預ける親たちは、皆それがある前提でその日の行動を考えています。そして「ここに預ければ大丈夫」という信頼を抱いて、その施設を利用しています。
もしその信頼を裏切ることが1つでも起きてしまえば、一転して全ての利用者、場合によっては世間も含めた全方位からのバッシングを受けることになるでしょう。その時に日頃の努力を評価してくれる人など、現れるはずもありません。
園長からパワハラを受けていること以外にも、亜瑠は常にそういった社会的リスクに晒されて仕事をしている状態です。そしてそのような事件が起きた時、傷ついた子供たちの心が元に戻ることはありません。正に八方塞がりの地獄が、彼女の心を苛んでしまっていると言えました。
しかしその地獄の中でたった1つ幸運だったこと。それこそが亜瑠に寄り添っている樹果が、その仕事の苦悩を誰よりも分かってあげられる少年であったことです。
樹果は一度「誰かのために自分を傷付ける生き方」自体を否定し、亜瑠に今の仕事から離れることを勧めました。ですが彼女はそれを考えるまでもなく拒否し、「子供たちのために」仕事を続けることを選びます。
その仕事と生き方に真なる意義と遣り甲斐を感じているからこそ、亜瑠はあらゆる地獄を容認して今の立ち位置を正当化しています。
それが客観的に見てどれだけ馬鹿馬鹿しいことであったとしても、彼女にとってはそうではない。それがこの場において最も重要な事実でした。
ただしそこから逃れることができないことについては、見方を変えれば弱さでもあると捉えられます。
亜瑠は心身共にそれだけの強さを持っている女性ですから、努力の方向性を意識すれば現状を改善することだってできるはずです。しかしそうすることを選ばず、選べず、現状に甘んじてしまうからこそ雁字搦めに陥るのです。
だとしたら、彼女がそこから逃れるためには他人の力が必要不可欠。それができるとしたらきっと、同じ苦しみを分かち合える"生き方"を強いられている者だけです。
「誰かを守るために、誰も傷付けないために頑張ってるの、偉いよ!けど…」
樹果は倒れるギリギリまで働き続ける亜瑠を抱き抱え、自分の気持ちを伝えて行きます。亜瑠の気持ちを尊重し、自分が否定する生き方を全うできる彼女を労い、その心に優しく自分だけの言葉を投げかけます。
「けど、誰のことも傷付けちゃ駄目なら、自分のことだって傷付けちゃ駄目なんだよ!」
ただ1つ、彼女が見落としている価値観を届けるために。
自分を犠牲にすることを「仕方がない」と思わずに、自分も大切にして認めてあげられるようになってほしい。その願いをまっすぐと、打ちひしがれる亜瑠に向かってぶつけました。
何故なら、それこそが自分を大切に思ってくれている人に報いることだからです。自分たちのせいで誰かが傷付き倒れ、不幸になることを望む人などいるわけがありません。ましてそれが誰かに強いられた結果であるのなら、尚更のことでしょう。
今正に起ころうとしているその悲劇。絶望的な結末を変えられるとしたら、これが最後のチャンス。それが実現してくれる存在が今、亜瑠のそばには立ってくれています。
優しいなんてもんじゃない、放っとけないだけの人情。そこに熱い想いを携えて飛び込んだ陸岡樹果の"カッコ良さ"からは、確実に見る者を奮い立たせる輝きが放たれていました。
「禁忌解放!愛!繚乱!
卉樹の夭聖 樹果、降臨!」
自分を誇らしく思うために
樹果が辿り着いた心象世界は、無数の木々に閉ざされた森林の最中です。
木を隠すなら森の中と言わんばかりに身を隠し、多くの"その他大勢"に守られた先で私腹を肥やす。正に園長の心の風景が分かりやすく反映された世界です。食虫植物を護衛につけて部外者を"害虫"として排除する攻撃方法からも、陰気臭さが滲み出ているというものです。
そのトリッキーな攻撃に翻弄される形で、樹果も服を溶かされ粘液で拘束され、あられもない姿を晒すことになってしまいます。4話の時もそうだが樹果くんのサービスカットに対する熱の入れようからは、製作スタッフの純然たる狂気を感じます。求められているからやる、必要だからやるという話ではなく、「やりたいからやる」で突っ切っている感じがするのが『Fairy蘭丸』らしさだと思います。ええ。
最後にはウツボカズラの粘液で全てを溶かされていよいよ全裸に――と思いきや、まさかのそのまま全身が溶かされて、一瞬のうちに樹果は跡形もなく消滅させられてしまいました。クソ!惜しい!(?)
卉樹の夭聖は戦いには向かないとされ、現に樹果だけが蘭丸の力添えなしでは愛著を回収できていなかった状態。今回はチルカの参入によってその力添えも見込めず、一方的に敵に嬲り殺しにされてしまう結果を迎えてしまいました。
社会とは"持つ者"が上に立ち、彼らが自分たちに有利になるように理を生み出す仕組みです。故に下々の努力は報われず、反旗を翻したところで十全に用意された防御策の前にただ敗れ去るのみ。この世は殺るか殺られるか。楽園なんてありゃしない。そんな抗いようのない現実が、一方的にやられた樹果の姿から垣間見えるようです。
「たとえ報われなくても…誰かの笑顔のために頑張る…」
しかしその全てが敷かれたレールの上を走るわけではありません。そこから抜け出すためにひたすらに努力し、あるか分からない幸せなゴールを目指して突き進む。そんな人たちの存在が、腐敗した社会に風穴を開けて行く力を持ちます。
「お前らのためじゃない。自分のことを誇らしく思いたいから、皆必死に耐えて頑張ってるんだ!」
ただ最後まで諦めずに、現実を知ってなお自分の"理想"に食らいつく。セオリーでは決して図り切れない名も無き庶民の善意・情熱こそが、上流階級の人間の思いもよらない結末を描く最大に最強の切札です。
「お前のような奴は、この世で一番…いらない!!」
利用する側だと思っていた者ほど、縛り付ける術を失った時に大きなボロを出すもので。そうなった時「殺る」側と「殺られる」側は、あっという間に入れ替わる。そこで後悔したところで、もう遅いのです。
「オン マヤルタ ハリキラ」
敵の攻撃を逆手に取り、分解された自分の身体を再蘇生。樹果に備わっていたその能力は、園長の意表を確実に突くことに成功。油断して自分から前に出てきたその愚かな鍵穴に向かって、必殺の一撃を撃ち込みます。
「心根解錠!」
きっと彼がそこに行き着くことができたのは、自分と似たような立場にありながら、まっすぐに自分の善意を全うできる亜瑠に出会ったからでしょう。
今までの樹果だったらその努力を無駄なものだと決めつけて諦め、園長にその意志をぶつけることはできなかったかもしれません。少なくともつい先日まで、自分を傷付けてまで他人のために生きる理由を、彼は持てていなかったのですから。
「聖母被昇天!!」
1つの出会いが1人の心を大きく動かして、その動いた心は出会った"誰か"を救い出す力を持つ。あまりにも美しく、理想的な関係だと言わざるを得ません。
そしてその交流は、陸岡樹果が依頼人に親身に寄り添おうとする優しい心の持ち主だったからこそ実現しています。誰よりも相手個人との時間を大事にし、しっかりとした関係性を紡ごうとする。それが彼の持っている何よりも尊い"優しさ"に他ならないのですから。
「GO TO…
HEAVEN――――――――!!」
それはきっと彼が卉樹族としてこの世に生を受けたから得られたもので、生まれによって齎された感性がその樹果の在り方を成立させたのだと思います。
どこまで樹果がそれに納得し、受け入れることができるようになったのか。劇中でその全てを知ることはできません。しかしその心が全く新しい世界を受容できることになったのは、紛れもない事実です。
成功体験の1つ1つが多種多様な価値観を認めるための土壌となり、それが新しい成功を生み出す力に繋がって行く。初めて1人で愛著回収を成功させた陸岡樹果に、さらなる成長の場が与えられんことを。そう心から願っています。
おわりに
禁忌其の捌も樹果らしく、依頼人の心をじっくりと救済して行くハートフルなストーリーに。
物語の全体像をクリアにするためのシーンも挟まれたため、樹果個人に完全に的が絞られたわけではありません。しかしその分だけ印象的かつ力強い台詞がショットガンのように放たれる、鋭い語り口が魅力な一話となっていました。
しかしながら徐々に強い劣情を露わにするチルカと蘭丸の関係性、もう何が何だか今の段階では断定不能なうるうの深層心理など、依然としてぐちゃぐちゃとした感情は維持されたまま。むしろより煮詰められて9話以降に投げられるという、視聴者としては頭を抱えてしまう状態にもなっています。
その辺りは終盤戦にまとめて解釈するとして、今回は樹果に全振りした感想文にしてみました。残りは際どい話ばかりになりそうなので、どうなっていくのか目が離せませんね。
また次回もしっかりと記事にしたためられたらと思います。よろしければお付き合いくださいませ。超感想エンタミアのはつでした。それではまた次回。
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